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8月, 2020の投稿を表示しています

タナダユキ「ロマンスドール」雑感

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タナダユキ「ロマンスドール」Netflix <ラブドールを題材にした作品>という事だけを番宣で聞いていて、「空気人形」と違うアプローチだとしたらどんな話がありえるのか? と思ってNetflixで見始めると、冒頭で高橋一生がいきなり「妻が死んだ」と言うので、妻を模したラブドールを作って永遠の愛に生きようとする(彼岸に行って戻って来なくなる!?)狂った展開を期待するが、その方向には行かず、曖昧な所に着地。ラストは「空気人形」と似たようなテイスト(結局はモノ=ゴミ)。 16ミリフィルムで撮影された暗めの画は全編通してなかなか良い。特にラブシーンの画。 「永遠に続くものはない」なんて判りきっている真実を大げさなモノローグで呟くよりも、映画を見ている間だけでも、たとえ狂気の愛であっても、とんでもない世界・見た事も想像した事もない世界に連れて行って貰いたかった。 色々な意味で僕は「空気人形」の方を買う。 アートを目指すがアートになりきれず、かといってエンタメとして職人的にきっちり楽しめるように作っている、というわけでもない、総体的にはどこか中途半端な作品。 こういう内容の映画でヒロインががっつり脱がないのは大きなマイナスポイント。ラブドールというテーマでエロティク要素希薄でやたらと美しい照明のベッドシーンばかり見せられても…。田畑智子の陽光あふれるリビングまだしも。 高橋一生プロフィール 蒼井優プロフィール

東陽一「もう頬づえはつかない」雑感

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東陽一 「もう頬づえはつかない」1979年公開 80年代半ば頃にテレビで放送されたのを断片的に見た記憶があり、その時は「なんだか暗い映画だなあ」「桃井かおりのモノマネの原点はこの作品なのかな? 」という程度の印象しか持たなかった気がする。その頃の僕は、70年代の普通の日本映画(つまりSFでもアニメでもエンタメでもない普通の人間が登場する普通のドラマ)にはあまり興味を持っておらず、たまに見ても殆ど何も掴めなかった(小津を見ても「単なるホームドラマ」と感じていた)。 いまAmazonで見ると、ストーリーそのものにはあまり魅かれなかったが、70年代の光景を眺めるだけでも楽しい。外ロケそれなりの尺、セットも作っているアパートの部屋も懐かしいモノを楽しむのに充分な長さ。 奥田瑛二のキャラは、70年安保を引きずっているらしい理屈っぽいインテリの森本レオと対照的なキャラとして設定されるのが王道なのだろうが、ATG的リアルはそんな判りやすい典型には行かず、ジャン・コクトーとリルケの話から察するに別の種類の面倒なインテリな気もするし、一方、吉野家のシーンには、今を生きる普通の若者のムードが前面に出ているようにも感じられる。映画の結末から察するに、どっちを選んでも同じ、という方向性であえてこういう(曖昧な?)キャラに設定している気がしないでもない。 それにしても、70年代はこういう理屈っぽい女好きがそんなにモテたのだろうか? 予備知識なしでこの映画を見た限りでは、普通の女子大生(と描かれているように見える)の桃井かおりが森本レオに激しく恋をしてしまった理由はよく判らなかった。 ラストの桃井かおりの引っ越し(ストップモーションの笑顔)は、70年代的な閉塞的人間関係を脱して新しい風(揺れるカーテン)に乗って<翔んでる女>に生まれ変わる、と解釈したい気もするが、かかっている曲(声も曲調も暗い!)からすると、それを目指してもやっぱり同じような男を好きになって同じような事を繰り返す、という気もしてくる。 高度経済成長で生活は豊かになってはきたが、なんとなく先行き不透明な時代の気分・ムードが、作品全体の通奏低音になっているような気もする。結局35年を経て見た今回もしっかり掴む事はできなかったようだ(冒頭の撮影開始前の現場のお喋り? の意味なんてさっぱり判らない)。 カーキ色のジャケットはこの当時の

今はまだ紙媒体

例えば、プロ野球の順位を確認しようと思った時、パソコンの場合はブラウザを選択して検索文字を打ち込むか、何度かクリックして該当ページに行く。スマホのアプリだともう少し楽かもしれないが、それでも現状は、紙のスポーツ新聞のページをめくる方が、作業的に楽(使うエネルギーが少ない)で時間的にも速い。 スマートグラスや空間スクリーン(?)で閲覧できて、脳波でコントロールできるようになって「プロ野球の順位」と頭の中で考えただけで瞬時に表示されるようになるまで、まだ数年〜十数年はかかりそうなので、それまでは、引き続き紙媒体も利用していく事になりそう。 現実的なごく近い未来は、まずは<スマートグラスで音声で検索>という事になるのだろう。昭和アナログ世代としては、そのままスポーツ新聞の紙面が目の前に表示されれて、順位表の部分が自動的に拡大表示されるシステムを期待したい。見出しの大きさで重要度が瞬時に判る紙媒体のレイアウトは捨てがたい。 脳波コントロールのその先は、アルゴリズムが僕の全ての意識や思考を監視/ディープラーニングして、僕が意識するのを先回りして僕が欲するモノを提示してくれるようになるのだろうが、そこまでは僕の寿命は持たない気がする。 --------------------------- 2020.09.07追記  もちろん、何が何でも紙で読み続けたい、と思っているわけではなく、現在の紙媒体の紙面を広げた程度の大きさで、レイアウトを含めて読みたい、と思っているだけで、スマートグラスで仮想的に、または空間スクリーン(映画「マイノリティ・リポート」)で、現状の紙面をそのま読めるのであれば全然それで構わない。 近未来のスポーツ新聞の読み方を具体的に夢想すると、声(または脳波)で「日刊スポーツ」と指定すると目の前のスクリーンに現状と同じ大きさ(またはそれ以上、指定可能)で一面(または指定面)が表示される。紙面レイアウトは編集部が用意したデフォルト/AIが好みを分析して作るカスタマイズが選択可能。声(または脳波)で「プロ野球」と指定するとプロ野球面が表示、以下同様に、「ジャイアンツ」と指定すると昨日の試合のジャイアンツの記事やスタッツ、「ハイライト動画」と指定すると動画が再生される。一切手を使わずに歯を磨きながら目の前に大きなスクリーンがあるイメージ。自宅は空間スクリーン、外出時はスマ

芦原すなお「官能記」読書メモ

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 芦原すなお「官能記」1996年発行 生と死と性。 過去に2〜3回読んでいる筈だが、ほぼ忘れていて、読み始めたらだんだん思い出した。 こういう女性がたくさんいる世の中であって欲しいという願い。 ある種のファンタジー、細部のリアリティ。 親をなくして親戚に引き取られ、子供の頃は親戚の子供にいじめられるが、15歳で独立して、天性の美貌・頭脳・運動能力でどんどん成功して行く話。…と、まとめてしまうと魅力の殆どが失われかねない。 告白体の文章と会話の面白さ。自由な心。人生と性はなんでもあり。 捨吉が編集者に住所を教えて貰うくだり、実際は少なくとも編集者から作者への確認が入る事なく勝手に教える事はない、と思うのだが、1980年代はまだありえる話だったのか? 明星や平凡に芸能人の住所が掲載されていたのは60年代の話だったか?  芦原すなおと言えば、当世随一の面白い会話の書き手だと思うのだが、中盤はやや地の文の割合が増えて会話のキャッチボールは少なめ。映画監督とは会話のキャッチボールはもっと読みたかった。 作家(代表作,年齢順一覧)

大林宣彦「HOUSE」雑感

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大林宣彦「HOUSE」1977年公開 大学時代に文芸坐か文芸地下で観て以来の再見。「家が人を襲うちょっと変わった映画」という曖昧な記憶しか残っておらず、誰が出ていたかも忘れていたが、ちょっと変わった映画というレベルではなく、破天荒なストーリー・自在な編集・独特な音楽の使い方など全ての要素が相当に変わった映画だった。おもちゃ箱をひっくり返したような映画。 冒頭から8分過ぎまで続く一連のシーンの編集・多重的な音の使い方は既に大林宣彦調。 3分頃の池上季実子と大場久美子が醸し出すever lasting momentなムード、二度と戻らない瞬間(「バイバイ」と別れて二度と会えない瞬間はいつか必ず訪れる)。映画館で映画を観る行為も二度と戻らない瞬間と言えなくもない。 多分コンピューター以前で全て手作業による様々なアナログ合成。アナログ合成の見本市と呼びたくなる程に多種多様な特撮。生首はピアノ線? 30分頃にかかるメインテーマのピアノアレンジ。冒頭と同じメロディーだがテンポとアレンジが変わると妙に印象が変わる曲。このピアノアレンジはどこか郷愁を誘う。 ヒロイン池上季実子は2020年の感覚で見れば10代にしては大人びていて、セーラー服はコスプレに見えるが、70年代後半はこんなものだったか? 入浴シーンは39分頃。 池上季実子プロフィール 大林宣彦監督作品 HOUSE 作品データ

未来予測メモ

◯紙の新聞・紙の雑誌は一部のマニア向けの高額商品になる  ※新聞は一部300〜500円、雑誌は1000円〜2000円 ※専売所・宅配システム及び実店舗での販売は消滅して通販のみ  ※新聞は既存の宅配業者がドローンで宅配 ◯テレビ局は配信番組を宣伝するプラットフォームになる ※超メジャーなスポーツ中継と生のスタジオ番組(主にニュースと番宣) ※全ての番組(コンテンツ)はネット配信が基本になる ※地上波は再編・合併で2〜3社に収斂(TBSとフジ、テレ東とテレ朝が合併?) ◯スマートグラス及び空中照射スクリーンが普及 ※スマホ、タブレット、パソコンは消滅 ※脳波によるコントロール ※テレパシーに近いレベルで会話

この20年とこの先20年(2020年)(下書きメモ)

2000年頃 初代iPod ウォークマン以来の驚き 全くなかった発想 カセット→MD→もっと小さくなる? 数年後 iPod touch 今のスマホと同程度の薄さ これに電話とカメラが付けば絶対こっちの方がいい →数年後にiphone登場 すぐにiPadも登場 このスピードでデジタルガジェットが進化したら2010年年代はどうなる!?  2010年代には驚くような新製品は登場しなかった あえて言えばVRが全く新しい製品ではあるのだが、iPod、iPod touch、iphone、iPadに比べて見た目のカッコよさが全然標準以下。 スキーのゴーグル程度になって欲しい。 この先20年 スマートグラス ピント自動調節 ARスクリーン  理想は脳波  現状は瞳の動きでポイント操作→瞬きで選択

サッカーに関する様々な事柄②

ハイプレス・ハイラインの超攻撃的サッカーを行う為の最低要件 ①90分間運動量が落ちない(終盤に運動量が落ちないように配分できる)         ②前からハメて奪取できる強力な守備戦術・守備能力                 ③前からハメて奪取できなくてカウンターを食らってもやられない強力なCBとGK 要は、リトリートしてカウンター狙いのリアクションサッカーに比べて、相当に高度な能力・戦術、特に、ボールを奪われた時に3回に2回(できれば5回に4回)は相手陣内で奪い返すだけの守備戦術・守備能力が必要。コレができなくてカウンターを食らう度に最高速度でゴール前まで戻っていては到底運動量が持たない。 2020年夏の清水エスパルスは一番基本の①が達成できていない試合が殆ど(逆に言うと②③ができないのにやろうとしているので①が達成できない)。 どんな戦術を取っても①は必要だが、極端に言えば、ベタ引きして守備重視、ボールを奪った時は前目の3〜4人でカウンター、前半は0-0でOK、後半の後半はエネルギーと相談しながら攻撃の強度を上げる、疲労した前目は交代させる、という戦術の方が、①だけは達成できる(なんとか勝ち点は拾える)可能性は高くなる。

サッカーに関する様々な事柄①

サッカーを真剣に見始めた20代半ばの頃は、 守備の事なんて、正直、真剣に考えていなかった。 最後はセンターバックとゴールキーパーが体を張ってくれ、程度。 サッカーの魅力はなんといっても攻撃であり、 守って守ってカウンターとかセットプレイで1-0で勝つ試合よりも、 2-3とか3-4の負け試合の方がマシだと思っていた。 当時の僕は青春後期。 目の前の試合にどれだけ興奮させられるかが一番重要だった。 その結果、優勝できればいいが、たとえ優勝できなくても、面白い試合をたくさん見せてくれればいい。 あれから30年。 今はすっかり考え方が変わっている。 考え方が大きく変わったきかっけは、 06年W杯GS1戦目のオージー戦の最後の15分。 1-0で勝っていたが残り15分で3点取られて1-3で負けた試合。 基本的にどんな戦術を取るせよ、相手が強烈に攻めて来たここぞという時間帯は、11人全員で強烈に高い強度の守備をする必要がある。それができないチームは永遠に大きな大会を勝ちきれない。 人生の残り時間の問題もある。 生きている間に日本代表のW杯優勝、応援しているクラブのクラブW杯優勝を見たい。 例えばバルサのように、面白い攻撃的サッカーで勝てるのであれば、それが一番良いのは言うまでもないが、そんなサッカーで勝てないのなら、勝てるサッカーをして欲しい。 極端に言えば、優勝できるならどんなサッカーでもいい。

加齢加速、気がつけばその日

自分が若い頃は、年配の人が「30過ぎると10年20年があっという間に過ぎる」と言う意味がさっぱり判らず、「いくつになっても1年は1年だろう」と思っていたが、実際に自分が50代半ばになってみると、<30過ぎると速い>というのは、凄まじいまでの真実だったと思い知る今日この頃なのである。 ものごころついた5歳から25歳までの20年を<正味20年>とすれば、25歳〜35歳の10年間は体感で4〜5年、35歳から55歳までの20年間も体感で4〜5年で過ぎた印象。 70年から90年までの出来事は何が何年と即座に言えるが、90年以降は少々怪しくなり、00年以降の20年間の出来事はとっさには何年の出来事か判らず、全て<最近>に感じられる。 00年以降→最近、90年代→比較的最近、80年代→若かった頃、70年代→子供の頃、という自分の内部の時間感覚は、この先いくつになっても変わらない気がする(10年後には00年以降の30年間が<最近>になる)。 この分では、仮に大病や大災害を避けられてある程度長生きしても、ふと気がつけばもう今日が<その日>という事になってしまうのだろうが、こればっかりは順番だし自然の摂理だからどうしようもない。できる事は、その日の前に、できるだけ<その日>の事を忘れられるほど、何かに熱中・集中できる時間を増やす事しかない。どう生きても所詮人生は<その日>までの暇つぶし。どうせ暇をつぶすならできるだけ好きな事、熱中できる事をして過ごしたい。

「日本沈没2020」雑感

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 「日本沈没2020」Netflix(全10話) ディザスターモノの割に各キャラの切実感がいまいち伝わってこない。全10話の尺の割にはボリューム感が薄く、ゲーム的なムードに終始して、水増しされた総集編を見たような印象。 僕が見落としていただけかもしれないが、常に主人公側の視点で展開して、政府・公共機関サイドや世界各国の対応(葛藤)は描かれなかったようだ。ディザスターモノの従来のパターンをあえて避けて、日常系・セカイ系で描く試みだったのかもしれないが、それにしてはキャラが弱い。 最大の問題は各キャラの前フリ。ひとつひとつのエピソードが点としてバラバラに存在してその瞬間の感情リアクションもバラバラに存在していて、一貫した流れ、全体を通した明確な成長は感じられなかった。 父親と有毒ガスで死んだ女性の描き方には唐突感があったが、後半に行くほど、死ぬキャラの描き方はもったいぶった描き方になる。総じて話が進むに連れて展開がもっさりしてきて、これぞクライマックスと呼ぶべき大きなクライマックスはない。 全然ダメでもないが強烈に迫って来る部分が薄く、作品が指向する明確な世界観・方向性が伝わってこないという意味では「全裸監督」と似たような印象を持ったが、逆にこういう作品の方が世界展開で成功する確率が高い、という判断であえて狙ってやっているのかもしれない。ハリウッド的な明確さをあえて避けて日本的曖昧さを際立たせて、行間は視聴者の補完に委ねる方法論。 少女漫画風の目が大きすぎるキャラデザではなく、素朴な絵柄だったので、途中で嫌になる事はなかった(「鬼滅の刃」はどうしてもキャラデザに馴染めなくて早々にギブw)。 最終話、クラウドの話以降は真剣に見ていたら飛ばしたくなる程冗長(長過ぎるエピローグ)。義肢を装着して陸上をやる最終着地点そのものは悪くないのだが、主人公の陸上に対する拘りや葛藤の前フリが足りないので60点の模範解答を見せられているような印象。 (エンタメに関しては)古典的常套・ハリウッド的明快を愛する僕は、陸上と家族を愛する良い子な主人公がいろいろな試練を乗り越えて生き延びた、という展開(主人公の明確な成長は判りずらい)より、どれだけありがちでも、「タイムが伸びなくて陸上を続けるかどうか悩んでいた」「両親に対する反抗期だった」といった王道な前フリがある(明確な成長が見える)展開を期待

小林信彦&片岡義男「星条旗と青春と」読書メモ

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 小林信彦&片岡義男「星条旗と青春と」 対談本。 1965年10月31日に生まれた僕は、60年代の出来事はほぼ記憶になく、ふたりの感性フィルターを通して語られる、戦後から70年代後半までの様々なモノゴト(特に55年頃〜75年頃)はなんとも新鮮で魅力的に感じられる。もし1940年に生まれて上記20年間を15歳〜35歳として生きたらどのように感じただろう、という想像をめぐられせながら読み進める。 小林信彦が語っている事の殆どは氏の他の著作で語られているエピソードなのだが、こういう話し言葉で読むと新鮮。片岡と意見が真逆の部分(50年代ポップス、MGMミュージカルなど)に関する論争的な展開があっても良かったが、互いに相手を尊重する大人ゆえかそういう展開はなし。基本的に片岡義男はかなり聴き手に徹している。 小林信彦 プロフィール

大林宣彦「野ゆき山ゆき海べゆき」雑感

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大林宣彦「野ゆき山ゆき海べゆき」1986年公開 劇場公開時に池袋の映画館でカラー版を観筈なのだが、鷲尾いさ子のヌード以外殆ど何も覚えていなかった。小津安二郎の映画を観ても「単なるホームドラマ」としか思えなかった当時20歳の僕の映画鑑賞力では、この作品を深く味わう事は到底無理だったようだ。あれから34年。今回観たのはWOWOWで放送されたモノクロ版。※2000.08.18鑑賞 当時の鷲尾いさ子は年齢の割に大人っぽい顔、と記憶していが、この作品ではメイクが薄目なのか、あどけなく見える。49分頃の斜めから捉えたショットは伊藤麻衣子風。 前半は子供同士の対立(わんぱく戦争)、後半は女郎屋に売られる鷲尾いさ子の救出話(林泰文、尾美としのり)で大林宣彦作品にしては比較的おとなしめな構成(ハイパーモンタージュはない)だが、無声映画風コミカルな動き、あえて棒読み気味の台詞で独特の世界観に連れて行かれる。台詞は棒読み気味ににする事で逆に古びないようだ。 竹内力、三浦友和、佐藤浩市の他の作品では多分見られない類の演技。佐藤浩市はなんとなく「帝都大戦」の嶋田久作風怪演。 片桐順一郎(鷲尾いさ子の弟)は高柳良一をワイルドにしたような雰囲気。 劇中で歌われる様々な歌。鷲尾いさ子の決してうまいとは言えない歌声が印象に残る。 夢から醒めても夢の続きを見ているような気がした(127分頃)。 ラストで全員が消滅する、ある種の強烈な反戦映画。 鷲尾いさ子 プロフィール                                大林宣彦 プロフィール                                  野ゆき山ゆき海べゆき 作品データ

1980年代メモリー② エラー

エラー                                                                                                                     高校2年の時、ちょっとした失敗や言い間違いをすると<エラー!>とお互いに指摘しあっていた。 この言い方は仲間内の流行り言葉だと思いこんでいたのだが、ソフトクリームのアルバム「ソフトクリームベスト」(84年発売)の2曲目「コンちゃん起きなさい」に「エラーを出した」という歌詞があるので、世間である程度使われていた言い方だったようだ。 ラジオの深夜放送あたりが発信源な気もするが、そもそもは誰がどのように使い始めた言葉なのか、全く覚えていない。 野球の<エラー>の言い方(頭アクセント)ではなく、平坦に発音していた(ソフトクリームの歌も同様)。

大林宣彦「彼のオートバイ、彼女の島」雑感

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 大林宣彦「彼のオートバイ、彼女の島」1986年公開 カラー/モノクロが頻繁に入れ替わり、独特な使われ方の音楽と歌とナレーションによるノスタルジアなムードが全編に漂う、不思議な魅力を持つ作品。 何の根拠もないが、ひょっとすると彼女はもっと早い時点で死んでいて、現実(回想)/当時の夢想/現在の夢想が等価に混在しているのではないか、と感じた。 ある時点から振り返る落ち着いた口調のナレーションは「ノルウェイの森」のムード。 白いTシャツ&ジーンズは多分当時大流行のヘインズ&リーバイス(シャツIN)。 僕も80年代半ばから90年代前半(20歳頃〜20代後半)は、 服選びが面倒な時はたいていコレだった。 ヒロイン原田貴和子は角度によってattractiveに見えたりそうでもなく見えたり。 捉えきれないムードとモノクロのクロウスアップに、なんとなく「マンハッタン」のMariel Hemingwayを想起。偶然遭遇した温泉はもともと混浴なのか? Wikipediaによると、 併映 「 キャバレー 」が 長くなったので15分短くする事を承諾して、大林自身が一番良いシーンと思っていた箇所を切った、との事。 原田貴和子 プロフィール 大林宣彦 プロフィール 彼のオートバイ彼女の島 作品データ

1980年代メモリー① 洋酒の値段

1980年代メモリー① 洋酒の値段 最近はアーリーもジャックもスーパーやコンビニで2000円程度で売られているが、僕が1984年に大学に入学して上京して本格的に酒を飲み始めた頃は、洋酒(死語?)の値段はとても高かった。どんなに安い銘柄でも3000円、ちょっと有名なのは5000円以上、高級銘柄は1万円はしたと記憶している。 多分初めて買った洋酒は緑の瓶のカティサーク、値段は記憶では3500円程度。カティサークは主にひとりでロックでちびちび飲み、普段、同級生と飲む時は安い国産(サントリー・ホワイト?)をコーラで割ってガンガン飲んでいた。安い国産でも2000円くらいはしたと思う。 この頃は酒はコンビニやスーパーでは売っていなかった筈で、「ふぞろいの林檎たち」の中井貴一の実家みたいな、いわゆる酒屋で買っていた(そもそも上京当時に住んでいた上板橋には駅の周辺にコンビニはなかったような気もする、スーパーはイトーヨーカードーがすぐ近所になり、殆どの食材はそこで買っていた)。1990年代初頭まではそういう酒屋で酒を買っていた記憶があるので、洋酒の値段が下がったのは、単に酒税が安くなっただけでなく、販売方法などの法改正も関係していのかもしれない。 ある程度飲めるようになってくると、酔えればなんでもいい、という事になり、ウイスキーより更に安い焼酎をジュースなどで割って飲むようになったと記憶するが、この辺は記憶があやふや。焼酎をオロナミンCで割ると吸収しやすいのかすぐに酔える、という話を聞いて実践してみたらその通りでたちまち泥酔した。 以上は部屋飲みの場合で、外で居酒屋で飲む時は、基本はビールがサワーで、たまにハイボールを飲んだ気がするが、いずれにせよ、大学時代は高い洋酒とは完全に無縁だった。 世の中がいよいよバブルのムードになってきて、カフェバーが流行して、バーボンのソーダ割りが流行っていたのは僕の主観記憶では80年代終盤、この頃に流行っていたバーボンと言えば、ハーパー、ローゼス、アーリーで、近所の酒屋かスーパーで買ったハーパーは5000円くらいはした気がする。 こんなどうでもいい事を文章に残して公開しても世間の役に立つ事は殆どないだろうが、自分自身のボケ防止の為、折に触れて、主に80年代、ときどき70年代や90年代の事を書き残していこう、と思っている。

大林宣彦「天国にいちばん近い島」雑感

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大林宣彦「天国にいちばん近い島」1984年公開 大林宣彦監督作品としては普通の映画。 ニューカレドニアの雄大な風景(海、空、山)と 原田知世の様々な表情を眺めるべき作品なので、 小さなモニタで見るとかなり魅力がそこなわれる。 全編ほぼ原田知世の主観で展開。 旅先で様々な人と知り合って成長するパターン。 イニシエーションとしてのひとり旅。 海に太陽が沈む瞬間に見える<緑の光線>の話は23分頃と87分頃。 エリック・ロメール「緑の光線」でも、 似たような事が語られていたような気がするが全く思い出せない。 ※エリック・ロメール「緑の光線」は1986年公開 ドラム缶風呂入浴&号泣シーンはノーメイクのように見える(71分頃)。 原田知世プロフィール 大林宣彦プロフィール 天国にいちばん近い島作品データ

小林信彦「大統領の密使」読書メモ

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小林信彦「大統領の密使」ちくま文庫 1993年発行(早川書房 1971年) 子供の頃から何度も読み返しているが、いま読み返しても、 深く考えずにラクに読む小説としては、読みやすく、面白い。 小林信彦の小説で一番好きなのはやはりこの手の軽いエンタメ。 ※オヨヨ大統領シリーズ、唐獅子株式会社シリーズ 70年代のディスクジョッキー事情はよく判らないので、 80年代に再読していた時は、主人公は吉田照美を想像して読んでいた。 きのうのジョーが主人公の口笛に昔を想い出して苦しがるくだり(P245〜) 言及される作品はさっぱり判らないが、なんとなく面白い。 僕なら80年代前半のB級アイドルだろうか? 徳丸純子、水野きみこ、横田早苗、吹田明日香あたり。

テレビ番組の感想など

TBS「ひるおび!」2020.09.07放送 現地からの台風10号被害リポート、まるで遊園地の開園を伝えるような明るめのトーンで話すのに違和感を感じる。アナウンサーやリポーターは、伝える内容によって、暗め/フラット/明るめの最低3トーン(できれば5トーン)を使い分けるべきだと思っているが、これがきちんとできているのはNHKの桑子真帆アナ。 --------------------------- 日本テレビ「野球脳サバイバルナイター」2020.08.19放送 しょっちゅう間違えて訂正しないアナウンサーの実況を聞かなくて済むのはありがたいw 結構面白いが、ギャンブル的バランスは再考の余地あり(最後に脱落しない為には他の人と違う予想orホームランに賭けるしか選択肢がなくなる)。 高橋由伸優勝。 --------------------------- NHK「ごごナマ」2020.08.19放送 ゲスト三田佳子の喋りを遮って進行を優先させるアナウンサー、原口あきまさ。 最近はよく目にする進行だが古い人間の僕は結構違和感を感じる手法。 トーク番組(特に生放送のトーク)は事前に用意した構成がふっとんでも、ゲストがノッて話してくれればいいじゃないか、と思ってしまう。「笑っていいとも!」のテレフォンに黒柳徹子が出た時に、他のコーナーを全部とばして延々話し続けたような進行は二度と見られないのだろうか。 --------------------------- TBS「グッとラック!」2020.08.05放送 PCR検査のVTRと携帯扇風機のVTRに同じ女性が出ているように見えた。 この手の街の素人インタビューVTRじたいが全て仕込みの可能性もあるのかもしれない。

城定秀夫「性の劇薬」雑感

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城定秀夫「性の劇薬」Netflix 2020年 おなじみのほのぼの系エロティックではなく、 途中までは変態アングラ風BLサスペンス。 60分頃までは「いったいどこに着地するんだ?」と興味深く見るが、 60分以降の種明かしの約30分は凡庸で説明的。 一言で言えばボーイミーツボーイ映画。 60分頃までの展開・妖しい描写に江戸川乱歩を想起。 65分頃にかかるギターの音楽に(その時点では) 「急にほのぼのしてんじゃねーよ」とツッコミつつ失笑。 そっち方面のシュミはないので、 最後の明るい部屋の長いラブシーンはさすがに飛ばしてしまったw 女性との本格的なカラミはなく、女性のヌードシーンはない。 60分頃以降はおなじみのほのぼの系で 人が人を好きになるのに理由はいらない、というムードなのだが、 それまでが強烈すぎて、見ているこちらのムードは 急には切り替わらない。 監禁された主人公が一度は元の日常に戻ってから、 墓場で偶然再会、の方がベターだったのではないか。 60分頃までの展開が更にエスカレートして、 主人公を監禁する男に関する説明が一切ないままで唐突に終了、という 展開を夢想。 城定秀夫監督作品

新型コロナウイルスに関する覚書など

絶対に患りたくない人は会場に来なかればいいだけの話。スポーツの試合会場で声をだすなというのは基本的人権の侵害ではないか。 ※2022.09.25 いま一番リスクがあるのは、covid-19以外で発熱があり、急速に重篤化する可能性がある病気にかかっている人。通常ならすぐに診断されてすぐに投薬・治療で抑えられるのが、その段階の診察まで簡単に行き着かない 可能性がある。 ※2022.07.23 読売ジャイアンツの選手40人が陽性反応。もし国民全員が毎日PCR検査を受けたら相当数の陽性者が出ていると想像される。5類相当を外して無症状の陽性者や濃厚接触者の隔離をやめて、普通の風邪やインフルエンザの扱いにしないともう社会が持たない。 ※2022.07.22 全国の1日の陽性者数が5万人以上といっても重症者は100人以下。相変わらず、なぜか陽性者数ばかりが大きく取り上げられて、重症者の年齢や既往症に関しては報じられない。いったいいつまで同じ事を繰り返すのか。covid-19に限らず、どんな感染症でも、人から人に移る確率をゼロにはできない。絶対に移されたくない人は家にこもって誰にも会わない生活をするしかない。それでも宅配物などから移る可能性は多分ゼロではない。covid-19の2020年以降の合計死亡数は約3万人(年間1万人余り)、もともとの年間死亡数120〜150万人に対しては誤差とも言える数字。年間120万人=月10万人=1日3000人以上、covid-19の前から1日平均3000人は死んでいる。 ※2022.07.09 僕はノーマスク推進派ではあるが、新型コロナ以前から、咳やくしゃみをする時はハンカチなどで口元を覆って欲しい、と思っている。2021年の冬だったか、マスクをしている中年オヤジが咳をする時にあえてマスクをずらしていたのを見た事があるが、本末転倒も甚だしい。新型コロナがもっともっと収まるまでは、それなりの咳やくしゃみをするなら、マスクをして更にハンカチなどで口元を覆って欲しい。もっと言えば、咳やくしゃみが頻繁に出る症状があるのなら出歩かずに家にこもっていて欲しい。なんの症状もない普通に元気な人がノーマスクで行動するのは大賛成。どんなリスクであれ完全にゼロにする事はできない。 ※2022.06.21 今週は女性のノーマスクを見かける頻度も増えてきた。殆どの人は「みんな

大林宣彦「はるか、ノスタルジィ」雑感

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大林宣彦「はるか、ノスタルジィ」1993年公開 例によって言葉で魅力を説明するのが難しい映画。 中年男性が故郷で青春時代の事を想い出し、 当時結ばれなかった恋愛に決着をつける話。 と、まとめられなくもないストーリー以外の所に多数の不思議な魅力がある。 音楽、感情の揺れ(表情、発声)、小樽の風景。 2時間ドラマ的ムードもある叙情的なメインテーマ音楽が耳に残る。 大林宣彦に「少女のプロでいて下さい」と言われた石田ひかりの圧倒的な儚さ。 劇中で経過する永い時間に対応する長い上映時間(約2時間45分)。 約20年後の「長岡花火」で筆舌に尽くし難いレベルに達する、 過去/現在/未来?/あの場所/この場所/死者/生者が等価に入り乱れる、 永い夢のような世界(ハイパーモンタージュ)の萠芽。 当たり前のように存在して当たり前のように会話する。 キャミソールの胸元を強引に開く時に一瞬トップが映っているようにも見えるショットは、 コマ送りで見ないと判らないレベル(123分頃)。 石田ひかりプロフィール    石田ひかり画像 大林宣彦プロフィール はるか、ノスタルジィ 作品データ