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アントニオ猪木逝く

アントニオ猪木の訃報から1日経過してじわじわときいてくる。 週刊プロレスを貪り読み、ワールドプロレスリングを録画して繰り返し見て、全日本プロレス中継も敵情視察として一応見て、タイガーと猪木の試合に胸を熱くして、イノキボンバイエが流れると毎回心が踊っていた。ほんの40年前の数年間、新日本プロレスは、僕にとって、ガンダム、STAR WARS、同年代のアイドル、小林信彦の小説と並ぶ、日々を生きのびる為の重要な何かだった。

乾くるみ「イニシエーション・ラブ」読書メモ

乾くるみ「イニシエーション・ラブ」文春文庫 2007年 随分前に映画を見て、前半/後半で大きな仕掛けがあるのは覚えていたが、その仕掛けが何だったかは忘れていた。予備知識ゼロで読んだとしても、sideA/sideBと明確に区切っているし、鈴木の性格が相当に違う感じなので、同じ名字と愛称だが別人、という疑惑はsideBの前半で普通に湧いてきそう。この疑惑を抱かせない為には、sideAの終わりの方に、僕の人生は初交際・初体験によってまるでカセットテープをひっくり返すように180度変わった、という一文があってもよかった。sideBのかなり早い段階に本屋に行かずにパチンコ屋で時間をつぶすくだりで疑惑は相当高まり、海水浴のくだりと、ハードカバーの本のくだりで、普通の読み手なら仕掛けに気付けると思う。 そもそもsideAの時点で、交際開始後にお互いひとり暮らしで週に1回しか会わないのは非常に不自然。普通なら通い同棲になる。 この話で一番興味深いのは二股をかけて同じニックネームで呼ぶ繭子の心理。 中絶した子供の父親が本当にsideBの鈴木なのかどうかも明確に描かれない。 CD(ランダム再生)時系列バラバラの繭子編をこれはどっち? と推理しながら読みたい。 もうひとりの鈴木(たっくん)がいたという展開も作れそう。 sideBの冒頭、鈴木がやたらと食欲がないのは何だったんだろう? 遠距離恋愛のストレス? P197の石丸さんの台詞「……一緒にご飯を食べる同期の子たちが休みだもんで……」、 東京出身と思われる石丸さんが「だもんで」を使っている理由を推理。 ①作者(静岡出身)が「だもんで」は中部地方の方言と気づかずに使用 ②作者は「だもんで」は中部地方の方言と知っているが、気にいっているので、全国的に流行らせたいと思ってあえて使っている ③石丸さんの親は実は中部地方出身 男性目線の性描写が結構リアルだな、と思ったら、女性みたいなペンネームだが男性。 80年代に青春を過ごしたので、連絡手段が電話のみ、という時代の青春恋愛小説として、仮に仕掛けがない普通の展開だったとしても、そこそこ普通に楽しめたと思う。もう少し当時ならではのムードがあれば更に良かった。 --------------------------- Netflixで映画を再見。 同じ役者が二役演じていた記憶していたが、それは間違いで、...

金子修介「みんなあげちゃう」雑感

金子修介「みんなあげちゃう」1985年公開 U-NEXT 公開当時に劇場で見た筈だが殆ど忘れていた。 ヒロイン・浅野なつみにサインを貰ったような朧げな記憶があるのだが、この記憶が確かなら、アルバイトをしていた池袋北口にっかつで舞台挨拶があり、事務室で待機中か登壇前にサインを貰ったのだろう。 ロマンポルノではなく、R指定の一般映画の筈だが、浅野なつみは序盤から脱ぎまくり。

徳丸純子「PICA PICA」雑感

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徳丸純子「PICA PICA」1983.06.21リリース 徳丸純子2枚目のシングル。 夏に始まって秋に終わった恋。 人生の青春時代(夏)と中年期(秋)を歌っている、という解釈もできなくはない。 高校3年当時に飽きるほど聴いていた時は、「秋」の部分は全く意識せず、アレンジとテンポから、ひたすら夏の輝く恋を歌っている曲だと思っていた(17歳男子としては正しいリアクション)が、よく聴くと、メロディは全体にマイナー調で、イントロのギター風も、Aメロ後のデクレッシェンドする口笛風も充分せつない。夏の輝く想い出は次第に薄れていく。 当時は非常に斬新に感じていた打ち込み(デジタルサウンド)、約40年後の2022年のいま聴いても、やはり斬新に感じられる。げんみつに言うと、「当時斬新に感じていた感覚」が鮮烈に蘇る。最近の曲(最近と言っても2000年以降)に心が動かされる事は滅多にないが、1980年代(15歳〜25歳)に好きだった曲は、いま聴いても、断然動かされる。 夏の日射しの日曜日(もしくは夏休み)にひとりで行った札幌のデパート(多分五番館)のイベントでこの曲を歌っていた。黄色のワンピースの衣装、風に揺れる前髪。テレビ番組でそれなりの露出があったが、この曲も売れなかった。 他の歌手が歌う類似曲が思い浮かばない80年代前半のとんがったアイドルソングという観点で、僕の中では、松本伊代「TVの国からキラキラ」と双璧。 余談。 この曲が発売された約1ヵ月後、1学期末の進路相談で担任から「理系が全然ダメなので私立文系に絞るのも手」とアドバイスされ、東京の大学に進学する事を考え始めた。それまでは1年浪人してイチからやり直してなんとか北大、と考えていたのだが、「東京六大学なら学費・生活費を出してやる」と親が言ってくれたので、理系の受験勉強をしたくない一心で、この夏から受験勉強を始めて、なんとか現役で合格できた。受験勉強中の約半年間、「なんとか潜り込んで東京に住めば毎週のようにアイドルのイベントに行ける!」と自らを鼓舞していたが、上京後に実際に行ったのは、大学1年の5月に池袋西武屋上で開催された岡田有希子の握手会イベントだけだった。その約1年後、岡田有希子は御存じの最期を迎えたが、彼女の短い生の間にも輝く夏の瞬間はあったと信じたい。

Rob Reiner「恋人たちの予感」雑感

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Rob Reiner「恋人たちの予感」1989年公開(U-NEXT) 公開時の劇場、レンタルビデオ、WOWOW、DVD(購入)、Blu-ray(購入)で過去に少なくとも6回は鑑賞しているが、配信での鑑賞は今回が初。日本語字幕はディスク版と多分同じ(違和感を感じる部分はなかった)。 一言で言えば、男女の友情が1回のセックスで壊れて最終的にヨリを戻して結婚する話。 セックスしてしまうまでは、殆ど全てのシーンにコミカルなオチがついている。 初見の中学生が笑えるような単純なオチではなく、ソフィスティケイテッドで コミカルな大人の会話劇の脚本として多いに参考になる。 基本的に大好きな作品なのだが、セックス以降の終盤は、コミカルな部分も減り、見る度に他の展開案を夢想してしまう。少なくともハリーは、やはり最初から好きだった(嫌いではなかった)という事になってしまうのだろうが、ハプニング的なセックスは陳腐と言えば陳腐で、友情を極めた先にセックスを超越した関係性が生じる、みたいな展開を夢想してしまう。 これもありがちではあるが、子供が欲しいのでその為だけにセックスして、やがて本当に好きになってしまう、という展開もありだったかも。子供に対する無意識の執着(スパイゲーム=家族が見えた、イラストのゲーム=ベイビー・トーク)とも取れるフリもこの展開なら回収できる。 ジョー(元カレ)が電話で結婚する事を報告してくる、という展開もちょっと強引。ジョーと別れた後になんでも電話で話す仲になっていたというフリもない。どこかで偶然会う方がベターなのだが、そうなっていないのはジョー役の俳優の香盤表の問題か? 2回目の再会シーンにCarrie Fisherがいる必然性はない。 2対2のセットアップで初対面の方がこのシーンの面白さも増す筈。 恋人たちの予感 作品データ  

John Hughes「ブレックファスト・クラブ」雑感

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John Hughes「ブレックファスト・クラブ」1986年日本公開(1985年制作) 通算4〜5回目の鑑賞だが、何度観てもこの作品を心底からは好きになれない要素が2つある。 ひとつは不良男・Judd Nelsonのルックス。 アクが強すぎる顔、デカすぎる鼻がどうにも生理的にダメ。 脇でたまに映るだけなら良いのだが、集団をかきまわして物語を動かすメインパートで、クロウスアップもたくさんある。クロウスアップ(特にアオリのクロウスアップ)はキツい。 もうひとつは最後にとってつけたように2組がカップルっぽくなる着地。 Molly RingwaldとJudd Nelsonはまだ物語のパターンとしては理解できなくもないが(それにしても川を渡る瞬間は描かれていない気はする)、お嬢様っぽい髪型・メイク・服装にしたAlly SheedyがEmilio Estevezとくっつくのが良き事のように描かれているのは非常に疑問。そもそも、元のファッションの方が魅力的に見える。 土曜日の図書館で一瞬心を通わせて一緒に踊ったりするが、月曜日にはそれぞれの世界のそれぞれの日常に戻っている、という着地の方が良かったと思う。 ブレックファスト・クラブ 作品データ

John Hughes「すてきな片想い」雑感

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John Hughes「すてきな片想い」1985年日本公開(1984年制作) 80年代に多数の青春映画を製作・監督したジョン・ヒューズの初監督作品。 過去に3回は見ている筈だが結構細かい部分を忘れていた。他の ジョン・ヒューズ 系作品と記憶がごっちゃになっていた部分も多数。 ジョン・ヒューズ 系青春映画の中で一番好きな「恋しくて」に比べると、メインの恋愛話に強烈な物語はない(少女マンガのような展開に着地)。物語冒頭からお互いに好意を持っている事は判っていて、すれ違いのみの展開で、恋の成就に対する大きな障害はない。 挫折や成長が主人公に必要な要素と考えるなら、Molly Ringwaldより、むしろAnthony Michael Hallの方が主人公にふさわしい。前半はかなりMolly Ringwaldに執着しているが、最後はMichael Schoefflingのガールフレンドと仲良くなって満足しているように見える。 ストーリーの大枠は恋人交換モノの変型とも言える。 主人公Molly Ringwaldの相手役がいまいち魅力不足で、とってつけたようなラストは正直気に入らない、と見る度に毎回感じていた気がするが、50代半ばのいまの視点で見ると、全ての恋愛映画はファンタジーに思えてどんな結末も許せる。本当のリアルは恋愛の熱が覚めた後にある身も蓋もない話。若い頃の恋愛を突き動かすエンジンは、誤解と妄想と性欲に過ぎないという事はトシを取れば明白だが、当時はそこまで自覚的ではない。若い時は心の衝動を純粋な恋愛感情と思って突き進めるなら突き進む方がいい、言葉に出して行動すれば関係は一夜で進む事もある、という一種の皮肉を込めた話と解釈したい。25歳を過ぎれば打算抜きの純粋な衝動ではなかなか突き進めない。 Molly Ringwaldは殆ど会話をした事もない憧れの上級生に誘われて、ふたりだけで自らの16歳の誕生日を祝う(ラストシーン)。この恋愛がこのままずっと続くとは到底思えないが、それでも結局何もないまま15歳の1年間が過ぎた、という結果になるよりはいい、と作り手は思っていると想像する。 音楽の使い方が独特で面白い。 登場の度に繰り返しかかるAnthony Michael Hallの短いテーマ。 自分の部屋にいる祖父母に気づかれたくない時にかかるサスペンス。 ヒロインMolly R...

Michael Hoffman「プロミスト・ランド 青春の絆」雑感

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Michael Hoffman「プロミスト・ランド 青春の絆」1987年制作 この作品も「レス・ザン・ゼロ」と同様に、レンタルビデオを初めて見た時から妙に心が騒ぐ作品。初見から30年たったいま見ても、当時と同様に心が騒ぐが、それをうまく言葉で説明する事ができない。 雪原(道路は見えない)をクルマがまっすぐ進んで行くシーン(36分頃)。まわりこむカメラ。この世の果てのようなに見える景色。なぜこのショットに妙に魅かれるのか、よく判らない。言葉で説明できない何か。 路端に停めたクルマの刹那的なカーセックスの美しさと哀しさ(38分頃)。 見る人によっては、単に寄る辺なきふたりが慰めあっているだけの、みじめなシーンに見えるかもしれないが、僕はこのシーンにも心のざわめきを抑えられない。こんな場所での刹那的な情交でも、このふたりにとっては(当人は気づかない)ever lasting moment。 クライマックスのサークルK強盗シーン、ダニーがパトカーのデイヴィーに気付くくだりはちょっと判りにくい。窓のすぐそばのスペースに停めた瞬間のデイヴィーのクロウスアップショットが欲しかった(86分頃)。 映画のお約束としては「シックス・センス」と同様に、事実上即死、という事なのだろうが、ドラマ「ER」をさんざん見た後では、腹を撃たれただけならまだなんとか助かるのでは? と思ってしまう。 ラブコメの女王と呼ばれる前のMeg Ryan(1961年誕生)が、赤髪・タトゥー入れまくりの不良娘を好演、ちょっとハスキーな声が役に合っている。一瞬乳首を見せるのは23分頃。最初の代表作「 恋人たちの予感」はこの作品の2年後。 プロミスト・ランド 青春の絆 作品データ

今関あきよし「アイコ十六歳」雑感

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今関あきよし「アイコ十六歳」1983年公開 混沌とした雑多な魅力に溢れた映画。 いろいろな話があるが、どれが主軸がよく判らず、 この作品全体の雑多なムードが青春時代を象徴している。 スマホもパソコンもない1980年代の青春。 自宅の家電、近所の公衆電話で異性に電話する。 原作で時々登場する雑誌のレタールームは映画には登場しない ※雑誌のレタールームは2021年のSNSのようなもの、 若者が読む雑誌にはこの手の読者のお便りコーナーがたいていあった 文通希望、趣味のサークルのメンバー募集などもあった ジョーズ風POVからグローイングアップ風に着地する下ネタは、 前を押さえずに走りまわり、最後は転んで岸部四郎の顔の上に尻もち、 という所までとことん暴走して欲しかったw(20分頃)。 音楽が流れて台詞がないシーンが妙に魅力的に見える。 特に、サザン「Never Fall In Love Again」が流れるボンファイヤー(29分頃)。 友人の数は多牌気味。 冒頭でニックネームでメインキャストとして紹介されても、 コレといった強い話はなく、多分初見では紅子以外は誰が誰だかよく判らない。 名前があるキャラクターは、 あいつ(元彼氏)の展開に絡む親友ひとり(ゴンベ)と、 敵役ひとり(紅子)でストーリー的には成立すると思う。 二人乗りの自転車のカゴの左側についている小さな人形が、 次のショットでは消えている(よく見るとカゴの右側についている)のは、 単なるミスなのか、それとも、この後の事故の予兆なのか?(85分頃) ミドルティーンの富田靖子の圧倒的魅力。 やや不機嫌な表情をアオリで捉えたクロウスアップ。 ラストショットの オーバーオールの印象は「さびしんぼう」に直結してしまうw その他、原作と映画の違いなど、箇条書きで。 ※堀田あけみ「1980アイコ十六歳」(1981年、河出書房新社、33刷) ◯映画以上に雑多で饒舌で登場人物も多い。 「お前は誰なんだ?」という人物がいきなり普段の呼び名で多数登場。 映画のストーリーや人間関係は原作に比べればまだ整理されている ◯アイコと紅子は対立したまま ◯映画ではボンファイヤーのシーンで唐突に語られるカンパの話(P147) 映画ではアイコと紅子はカンパを拒否するが、原作ではカンパに応じる ◯ラストのバイク事故、あいつかどうか判らない書き方(P1...

大林宣彦「ねらわれた学園」雑感

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大林宣彦「ねらわれた学園」1981年公開 80年代半ばにテレビで放送された時になんとなく眺めて、学園青春モノという骨格と、クライマックスのチープすぎる特撮から、「月曜ドラマランドみたいな映画だな〜」という印象を持っていたが、今回初めてじっくり見て、ルックは一見確かに月曜ドラマランド風な部分もあるが、独特な音楽の使い方やカメラポジション(ローアングル・アオリ)に大林の変態性(ホメ言葉)が垣間見える。 薬師丸ひろ子が水を飲む唇の超クロウスアップは5分頃。 全体的には大林宣彦監督作品にしては比較的普通。 ストーリーがこれだけ突飛だと、語りや編集でそうは遊べない、という事か?  クライマックスの薬師丸ひろ子(エスパー)と峰岸徹(地球征服を企む金星人?)の戦いの印象が圧倒的。いまのアベンジャーズ的感覚で見るとあまりにアナログでチープな特撮。 薬師丸ひろ子プロフィール 高柳良一プロフィール 大林宣彦監督作品 。

小林信彦&片岡義男「星条旗と青春と」読書メモ

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 小林信彦&片岡義男「星条旗と青春と」 対談本。 1965年10月31日に生まれた僕は、60年代の出来事はほぼ記憶になく、ふたりの感性フィルターを通して語られる、戦後から70年代後半までの様々なモノゴト(特に55年頃〜75年頃)はなんとも新鮮で魅力的に感じられる。もし1940年に生まれて上記20年間を15歳〜35歳として生きたらどのように感じただろう、という想像をめぐられせながら読み進める。 小林信彦が語っている事の殆どは氏の他の著作で語られているエピソードなのだが、こういう話し言葉で読むと新鮮。片岡と意見が真逆の部分(50年代ポップス、MGMミュージカルなど)に関する論争的な展開があっても良かったが、互いに相手を尊重する大人ゆえかそういう展開はなし。基本的に片岡義男はかなり聴き手に徹している。 小林信彦 プロフィール

1980年代メモリー② エラー

エラー                                                                                                                     高校2年の時、ちょっとした失敗や言い間違いをすると<エラー!>とお互いに指摘しあっていた。 この言い方は仲間内の流行り言葉だと思いこんでいたのだが、ソフトクリームのアルバム「ソフトクリームベスト」(84年発売)の2曲目「コンちゃん起きなさい」に「エラーを出した」という歌詞があるので、世間である程度使われていた言い方だったようだ。 ラジオの深夜放送あたりが発信源な気もするが、そもそもは誰がどのように使い始めた言葉なのか、全く覚えていない。 野球の<エラー>の言い方(頭アクセント)ではなく、平坦に発音していた(ソフトクリームの歌も同様)。

大林宣彦「天国にいちばん近い島」雑感

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大林宣彦「天国にいちばん近い島」1984年公開 大林宣彦監督作品としては普通の映画。 ニューカレドニアの雄大な風景(海、空、山)と 原田知世の様々な表情を眺めるべき作品なので、 小さなモニタで見るとかなり魅力がそこなわれる。 全編ほぼ原田知世の主観で展開。 旅先で様々な人と知り合って成長するパターン。 イニシエーションとしてのひとり旅。 海に太陽が沈む瞬間に見える<緑の光線>の話は23分頃と87分頃。 エリック・ロメール「緑の光線」でも、 似たような事が語られていたような気がするが全く思い出せない。 ※エリック・ロメール「緑の光線」は1986年公開 ドラム缶風呂入浴&号泣シーンはノーメイクのように見える(71分頃)。 原田知世プロフィール 大林宣彦プロフィール 天国にいちばん近い島作品データ

Netflix「全裸監督」雑感

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Netflix「全裸監督」全8話 予測の上を行く山田孝之のハイテンション・オーバーアクティングは一見の価値がある。 歌舞伎町のセットを筆頭にproduction designには充分な金がかかっている。 黒木香役の女優(森田望智)は実際の黒木香よりかわいい。 以上3点以外はあまり感心しなかった。 全体としてどの線を狙っているのかいまいち不明瞭。 内容・テーマに寄り添ってドキュメンタリータッチ(風)のコメディが最適解な気がするが、全体的にはどこか中途半端なドラマに終始している印象。 いろいろな事をやろうとして逆に一番やりたい事が曖昧になっているような。 #1の途中までまずまずだったテンポもだんだん落ちて来る。 メインは<ハメ撮り>を発明した破天荒な男の物語、 サブはAVに出演した事で自分を解き放った女の物語なのだろうが、 両者ともに集約不足、メインとサブの関係性にこれといったドラマがない。 このふたりが出会った瞬間にお互いを認め合ってストーリーが集束・昇華しているようにも見えるが、それならば出会う前にもっと障害が必要なのでは? 台詞・構図・演出にコレと言ってグッと来るものが感じられなかった(特に台詞)。 大手メーカーとの対立にヤクザや悪徳刑事が絡む展開は、 話が紋切型でキャラクターが類型的で、語り口を含めて既視感ばかりが漂い、 曖昧な方向性が最も顕著にマイナスに作用していたようだ。 もっと明確にヤクザもののパロディ的コメディで良かったと思うだが…。 ポセイドンvs村西の対立構図はもっと早い回に見せて欲しかった(#8 12分頃) イマジナリーライン越えが山田孝之と満島真之介の関係断裂を表現しているのかもしれないが、普通に見ていると単にしっくりこない編集に見える(#8 20分頃) 村西の会社、警察の取調室、ビデ倫の部屋はリアリティ感ない。 村西は最後まで一度も実際に「ナイスですね」と口に出して言わなかった(多分)。 あえてやっているのかもしれないが時代考証は微妙にアバウト。 扇子片手のあのダンスやパラパラの本格的な流行は90年以降の筈。 石橋凌の自宅リビングにある薄型テレビは10年早いのでは?(試作品か?) 城定秀夫か今泉力哉か山下敦弘か堤幸彦が全編監督したらどうだったのだろう、 とついつい想像してしまう作品。 ----------...

「ストレンジャー・シングス」シースン3雑感(まとめ)

「ストレンジャー・シングス」シースン3 Netflix 第1話 シーズン2に続いて署長のエルに対する干渉が気持ち悪い。本当の親子でないと成立しない心理。そもそも同居しているだけでもモンダイだと思うのだが。 プールのシーンに「初体験リッジモンドハイ」の例のシーンの音楽!  巨大ショッピングモール、バイトの制服の帽子もオマージュっぽい。 第3話 5組に別れて行動して各組が謎に迫る(ウィルの組は最後にウィルが感じるだけ)。Winona Ryderは顔が更にやせてますます怖い感じになってきたw 第4話 5組のうち2組が合流して最初のクライマックス(エルvsビリーonプールの建物)。前回に続いて全ての話が謎の解明に関わっているのでほぼダレ所なし。今シリーズは人間に宿るパターンなので前2シリーズとは違う画が楽しめそう。 第7話 2回目のクライマックス(署長の家)の後は少し停滞。寄生されたていた人間が溶けて合体して親玉がパワーアップ。最初から取り込まなかった理由はよく判らない。22分頃からの音楽はまんまBTTF? 最終話(8話) この話だけ77分もあって結構冗長(特にエピローグ)。2話に割ればいいのに。 ------------------------------------------------------ シーズン3全体の感想としては、80年代ムード・80年代映画オマージュは楽しめたが、メインのB級ホラー的な話は「まあ、こんなものかな?」という程度。途中で見るのをやめようかと思ったシーズン2に比べれば停滞感・閉塞感はない。 もっと最後の最後までティーンズが活躍する話にして欲しかった。今シリーズも最後の最後に重要な仕事をしたのは親の世代。署長はルックスもキャラクターも生理的にどうにもダメで全く移入できず、コメディリリーフ的にサブキャラとして隅っこにちょっといるだけならまだ我慢できるが立たせすぎ。署長のキャラの大きさにはこの世代のスタッフの強い思いが込められているような気がする。 ゲートを閉じればラスボスも活動停止? 前シリーズもそうだったっけ? と思うがいちいち確認するのは面倒w

橋本幸治「ゴジラ」雑感

橋本幸治「ゴジラ」Hulu 1984年公開 公開当時に劇場で観ているが、沢口靖子の平板演技、できたばかりのマリオンをゴジラが壊す事、最後の火山程度しか覚えていなかった。この頃はキネマ旬報も熱心に読んでいたのだがどんな評価だったかも覚えていない。 政治家・政府関係者の人数の多さと非建設的意見が飛び交うやりとりに「シン・コジラ」の原型が垣間見える(40分頃〜)。戦略核に関する総理の米ソ首脳に対する強い交渉態度(台詞で結果報告)は「シン・コジラ」と大違い(80年代ジャパンアズナンバーワン)。 まだCGはない時代だが30年前に比べると特撮はそれなりに進化、ゴジラが吐くビームもスピードが速い! 音楽が非常に物足りない。伊福部昭のおなじみの音楽が全く使われておらず、大河ドラマ風のあたりさわりのない主張しすぎない音楽ばかり。 沢口靖子の平板演技、「ゴジラ」の演技はひどかったが朝ドラに出て相当マシになった、 と当時かなり話題になったが、いま見返すとそこまでヒドくもない。 沢口靖子プロフィール

雑誌の記憶

雑誌の記憶 一番買っていた時期(90年代前半?)は月20〜30冊は買っていた雑誌、現在はほぼゼロ(今年は映画秘宝を1冊買っただけ) ◯毎号購入 科学(75年頃〜77年頃) 少年ジャンプ(75年頃〜79年頃) 月刊ジャイアンツ(77年前後) スターログ(78年頃〜85年頃) アニメージュ(79年頃〜83年頃) アニメック(79年頃〜83年頃)※途中から月刊? OUT(79年頃〜83年頃) オリコン(81年頃〜85年頃) BOMB(81年頃〜85年頃)※その後も時々購入 週刊プロレス(81年〜84年頃) シティロード(84年〜88年頃) ビッグコミックスピリッツ(85年頃〜08年頃?)※当初は月2回? モーニング(85年頃〜08年頃?)※当初は月2回? ボクシングマガジン(86年頃〜90年頃) ぴあ(84年〜88年頃) TOKYO WALKER(88年〜) サッカーマガジン(91年頃〜03年頃?)※どちらか サッカーダイジェスト(91年頃〜03年頃?)※どちらか アメリカンフットボールマガジン(90年頃〜95年頃?) NUMBER(90年代?) Mac Fan(90年代後半) 週刊文春(96年頃〜05年頃?) footballista(10年前後) キネマ旬報(84年〜86年頃、11年〜12年頃)※月2回 映画秘宝 DIME 日経TRENDY 噂の真相 宝島 sabra ◯時々購入 コロコロコミック 冒険王 ジ・アニメ(79年頃〜83年頃) ふぁんろーど(83年前後?) ◯購入した事がある テレビランド? 小学館の学習雑誌 ロードショー スクリーン SFマガジン 中三コース 週刊プレイボーイ 週刊平凡パンチ 月刊明星 PLAYB0Y PENTHAOUSE ハスラー ふぁんろ〜ど? Momoko アクションカメラ GORO POPEYE HOTDOG BRUTUS CHECKMATE Hanako Tarzan 本の雑誌 AERA 週刊ベースボール SPA! ※ぴあ、シティロードに次ぐ映画情報誌 アングル?

「Ready Player One」

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「Ready Player One」 この内容で140分はいかにも長い。 設定・ストーリーも疑問点だらけ。 疑問点を置き去りにするくらいのハイテンポで、 常に事態が進行中で90分程度で終わってくれれば大分マシだったかもしれないが…。 もし僕がリメイク(?)するなら、 「誰かがコードを変えてゲーム内の死=現実の死」という設定を作り、 コードを書き直す為には3つのアクセスキーが必要、といった展開で、 時限爆弾付きリアルタイム進行で75分〜90分で終わらせる。 着地点は「誰も現実には死なない平和なゲーム世界」への回帰。 このゲーム内世界は<人が想像した事は全て実現できる>といった説明が 冒頭のモノローグであるのだが、だとしたら、 3つの鍵を探す事は主人公たちにとってそんなに切実なの? なんでも実現できるならこのゲームをプレイするだけでも充分幸福なんじゃないの? という疑問点がさっそく浮かんでくる(最後まで曖昧なまま) 冒頭で<説明>しないで、とにかく主人公たちは何かを探しているらしい、 という展開で、鍵が主人公たちにとって何かしらもっと切実なモノとだった、 というストーリーだったらどうだろう、 なんて事を鑑賞中に夢想してしまっう程に無駄に長い。 途中で何度も飽きて来る瞬間がある。 ゲームの世界でのみ生き生きとしていた青年が現実の魅力に目覚める、という根幹。 エンタメ作品としてはこの方向性に行かざるをえないのかもしれないが新鮮味はない。 そのせいかストーリー的は諸々中途半端。 中途半端の最大の象徴が「週に2日ゲーム休業」という着地点。 ゲームの中で死んでも単にゼロからやり直しになるだけなので戦いに緊迫感がない。 戦いの勝敗ルールが曖昧なのも問題。 現実世界で現実に買った装備によってゲームの中で強くなっていたので、 資本力がある相手組織が絶対的に優位の筈なのだが、その辺、非常に曖昧。 ゲームと同時に現実世界でも邪魔が入るのだがこれまた非常に中途半端で緩い。 そもそも3つの謎を解く事を主人公たちがどれだけ必要としているかよく判らない。 金が欲しいのか? と思えばそれも断ってしまう。 別に解けなくてもこのゲーム世界が存在し続ければいいのではないか? 3つの謎は「その程度で誰も解けなかったの!?」と驚く...

「ストレンジャーシングス」シーズン2

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「ストレンジャーシングス」シーズン2(Netflix) シーズン1に比べると冗長・迷走気味。特に前半がかったるい。 シーズン1もじっくり振り返ればいろいろあるのだが、 とりあえず「消えたウィルを探す」とい言う骨太のストーリーが全編を貫いている。 子供3人と母親が消えたウィルを探す→子供3人がイレブンを匿う→ふたつの話がなんとなく重なっていく、という流れ。 シーズン2にはそういう骨太・根幹がなく、シーズン1では日常vs裏側(組織側)と明確だった対立構造も曖昧。特に前半、署長がイレブンを約1年小屋に閉じ込めて外出もさせない展開は、物語的必然性が弱い(擬似親子関係の話に昇華されてない、イレブンは能力を使っていくらでもひとりで生きていける)し、画的には髭面中年の少女監禁事件のように見えて、かなりの停滞感。 イレブン及び関係者の安全の為、と署長は言うが、署長は今シリーズでは組織側と繋がっているので説得力がない。前半の展開は1〜2話で語って欲しかった(停滞感激しいので4話あたりで観るのやめる事を考えた)。 イレブンが小屋を出る後半は多少マシになるのだが、いつもより長めの最終回は、再び署長イレブンの関係性もなんとなく描かれて冗長。 B級ジャンルムービー的作品の最重要要素は、 状況を安定させずにどんどん展開させること。 今シリーズ前半のように展開がかったるいと、 設定・ストーリー上の疑問点が気になってきてしまう。 疑問点を気にする暇がない程にどんどん展開して、 常に状況を不安定にしなくてはいけない。 ①ウィルが敵の司令塔をつながっていて弱点(勝つ方法)を知っている ②敵の司令塔をやっつければ軍団は人を襲わなくなる ③ウィルは敵のウィルスに感染していて熱する事でウィルスは出ていく などは誰かが台詞で言うだけの単なる想像で何のファクトにも基づいていない。 こういう疑問点を(少なくとも視聴中は)気にさせない為には、 一刻も状況を安定させない、特にクライマックスは(基本的には時限爆弾を仕掛けて)一気呵成に展開させなくてはいけない。 敵をなるべくシンプルにして 主人公サイドは常に一緒に行動する。 シーズン1の最終回もウィル発見(署長と母親)と怪物と戦う(主人公とイレブン)の2つに別れるのがカタルシスを削ぐ感じがあったが、今シリー...

「ストレンジャーシングス」

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Netflixで「ストレンジャーシングス」シーズン1(全8話)を鑑賞。 80年代を舞台にした80年代テイスト満載の作品。 スティーブン・キング風の話、 「E.T.」「エイリアン」オマージュ、 音楽はジョン・カーペンター風。 世界観だけで充分楽しめた。 設定・ストーリー上の細かい疑問点はいくつかあるが、 展開が速いので、見ている間はあまり気にならない。 細かい疑問点 ①イレブンはあれだけの力を持っているなら逃げ回る必要はなかったのでは?  イレブンが能力を使う条件に何か縛りがあった方が良かったのでは? ②モンスターに関してはいろいろ判らなかった。  現実世界に出現する条件。目的・弱点など。  最終回、あのふたりはなぜあの方法で倒せると思ったのか?  更につっこめば倒す目的もよく判らない(倒す=ウィル帰還ではなない筈) ③モンスター同様に「裏側の世界」もよく判らない  もともと存在していてイレブンの能力で繋がってしまった、という事なのか? 組織の長のマシュー・モディーンと 失踪した少年の母親のウィノナ・ライダーは、 ともに80年代は青春映画に出演。 一昨日くらいの感覚で覚えているあの頃から30年以上…。 ※2018年4月17日追記 昨日からシーズン2を見始めて、シーズン1を脳内反芻しているが、 シーズン1のイレブンは多分自分の能力の限界を知らない(少なくともラスト前までは)。 イレブンが主人公3人に匿われる話、として展開する分には、 イレブンの能力限界はさほど気にならないが、 シーズン1最終回やシーズン2#2のようにイレブンが能動的に行動すると話は別。 能力限界を知らされずに見せられる超能力戦は、 ルールが判らないスポーツを見せられるような感じ(勝っても負けてもモヤモヤ)。 仮に、視界に入った人間を一瞬で全員倒す事ができるのであれば、 逃げ回る必要もないと思うのだが、 イレブンは能力の限界と使い方に関してどう思っている、という設定なのか? なんとなく、シーズン1で狭い地域の小さな話で終わらせた方が良かった、 という感想になりそうな予感が…。