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小林正樹「この広い空のどこかに」雑感

 「ふぞろいの林檎たち」と共通の要素多数(古い酒屋、父親はいない、母親・長男(今の主人)・長男の嫁・弟という人物配置)。「この広い空のどこかに」の高峰秀子は「ふぞろいの林檎たち」にはいないキャラだが「ふぞろい…」の病気を抱えている長男の嫁(根岸季衣)は、高嶺秀子と久我美子を足したキャラと言えなくもない。佐田啓二演じる長男の名前は良一、中井貴一演じる弟の名前は良雄。山田太一がこの映画を全く知らなかったとしたら偶然の一致が多すぎる?

田中絹代「月は上りぬ」雑感

田中絹代「月は上りぬ」1955年公開 Amazonで鑑賞。初見。 基本的な展開とムードは小津的(脚本のひとりは小津安二郎、音楽は斎藤高順)。斎藤高順の 緩やかな音楽には、「秋日和」か「秋刀魚の味」で使われていた音楽と殆ど同じメロディラインの曲があった。 時々小津っぽい正面バストショットはあるものの、画は基本的には小津とは異なり、普通の高さのカメポジ多数。イマジナリーラインの越え方も小津とは異なり、ふたりの人物をロングで捉えたショットで逆側にまたぐ(数回あり)。 杉葉子も北原三枝も、親に相談する事なく、自分たちの意思だけで恋愛結婚を決めるのは、この当時としては最先端?  ふたりの女中さんに対する態度と言葉使いに、この当時は身分制度が厳然と存在している事を 再確認(小林信彦によれば身分制度が崩壊して行くのは1960年代以降)。 冒頭とラスト間際で寺で集団で唱えていたお経のようなのはなんだろう?  笠智衆がクラス会でやっていた詩吟とは調子や抑揚の感じが違うように聞こえるのだが。  

Peter Weir「いまを生きる」雑感

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Peter Weir「いまを生きる」1990年公開 Disney+で鑑賞。 公開当時の劇場鑑賞を含めて多分4回目か5回目の鑑賞。 1959年、全寮制の名門男子校が舞台。 初見の劇場鑑賞から直近(と言っても記憶では20年前)の鑑賞までは、生徒の少年たちに普通に移入して素直に感動して、ニール(Robert Sean Leonard)が自殺するくだりに関して、自殺する勇気があるのならどうして父親に自分の気持ちを強く訴えなかったのか!? と憤慨していたが、今回の鑑賞では、そういう感情も自分の中に残ってはいるものの、誰かが悲劇的に死んだ方が物語の主題(いまを生きる=いつかは死ぬ)の強化に与する、と製作者サイドの目線で感じる部分の方が大きくなっていた。 生徒たちのいまを生きる具体的な大きなストーリーは2つしか登場しない。 恋愛と演劇、どちらもうまくいって、Robin Williamsmも辞めないという話にする事は簡単だが、悲劇や別離を含んだこういう話だからこそ、中盤の何気ない瞬間がより輝く。 つまり、どう生きたとしても、人生は最終的にはある種の敗北(死)で終わる。 出会ったふたりは基本的にはいつかはどちらか片方が先に死ぬ。 だからこそ、特に若い時には、その瞬間にやりたい事に命を燃やす事が肝要。 人生の目的は究極的にはひとつしかない。 本当にやりたい事を見つけて一度は舞台に立つ=結果はともかくやれるだけの挑戦をする。 少なくともニールは一度は舞台に立った。 教科書を定規で破った少年はひたすら無難な道を選択して最期に後悔するのかもしれない。 この学校の卒業生でもあるRobin Williams演じる教師のある種の限界。 生徒や同僚(自分と同じ種類の人間)に対しては「知の巨人」だが、現実の問題を解決する為に自らが動いて積極的に関与する事は多分できない。 ニールに相談されてもできるのは言葉で励ますだけ。 ニールは最後の手段として父親と直接話して説得して貰いたかったのではないか? (相談するシーンの最後の方に「もう僕にはどうしようもない」といった内容の台詞) 公演終了後にニールの父親に激しい言葉で警告されると何も言い返す事ができない。 自分と同じような種類の人間には多くの言葉と様々な表現でいくらでも話す事ができるが、実社会の複雑で濃厚な人間関係・声の大きさがモノを言うような人間関係は体験...

市川崑「穴」雑感

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市川崑「穴」1957年公開 Amazon配信中(2021.03.13現在)※シネマコレクション by KADOKAWA ハイテンポで進行するコミカルな犯罪劇。 複雑で判りにくい騙し合い。 もともとの計画からどの程度逸脱しているのか、 あるいは船越英二は最初から計画していたのか、 よく判らなかった。 きちんとノートを取って分析すれば、 結構矛盾があるような気がしないでもない。 台詞で説明して画で見せない重要シーン多数。 替え玉殺し、船越英二の2500万円入手、など。 当時の渋谷の実景ショットがいくつかあるが、 現在の渋谷のどのあたりなのか判らなかった (三和銀行の看板が確認可能)。 ヒロイン京マチ子の様々なメイク・ファッションは、 できればカラーで見たかった。 穴 作品データ

小林信彦&片岡義男「星条旗と青春と」読書メモ

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 小林信彦&片岡義男「星条旗と青春と」 対談本。 1965年10月31日に生まれた僕は、60年代の出来事はほぼ記憶になく、ふたりの感性フィルターを通して語られる、戦後から70年代後半までの様々なモノゴト(特に55年頃〜75年頃)はなんとも新鮮で魅力的に感じられる。もし1940年に生まれて上記20年間を15歳〜35歳として生きたらどのように感じただろう、という想像をめぐられせながら読み進める。 小林信彦が語っている事の殆どは氏の他の著作で語られているエピソードなのだが、こういう話し言葉で読むと新鮮。片岡と意見が真逆の部分(50年代ポップス、MGMミュージカルなど)に関する論争的な展開があっても良かったが、互いに相手を尊重する大人ゆえかそういう展開はなし。基本的に片岡義男はかなり聴き手に徹している。 小林信彦 プロフィール

Woody Allen「女と男の観覧車」雑感

Woody Allen「女と男の観覧車」Amazon 2017年 50年代のコニーアイランドが舞台のひと夏の恋と嫉妬。 ひとつのシーンの中で様々に変わる光 ・ベッドでKate WinsletとJuno Templeが言い合うシーン ・クライマックス、Kate Winsletの長い独白のシーン 30代後半の人妻のKate Winsletと20代半ばのJuno Temple、 どちらもそれほどattractiveではないので、 話を転がす劇作家志望の青年Justin Timberlakeがどこまで本気なのかはよく判らない。 戯作に深みを持たせる為に自分の心の動きを楽しんでいるように見えなくもない。 Juno Templeに対する恋が一生に一度レベルなら一緒に逃げようと考えるのではないか? コニーアイランドの観覧車のそばに住んでいた、という話は、 たしか「ラジオ・デイズ」でも語られていた。 Woody Allenはもうここまで来たら最後の作品までこの意匠を貫いて欲しい。 Woody Allenプロフィール

本多猪四郎「空の大怪獣ラドン」雑感

本多猪四郎「空の大怪獣ラドン」Hulu 1956年 人間よりも少し大きいサイズの巨大昆虫メガヌロン、 コレが振り向くと家の中にいるのは巨大怪獣が街を壊すより怖い。 産まれたてのラドンがメガヌロンをついばむ画はもっと明確な画が欲しかった所。 なんとなくゴジラの音楽に似ている伊福部昭の劇伴。 ラドンのテーマは重低音の管楽器(チューバ?)。 航空隊出撃時のトランペットは科特隊風(56分頃)。 ラドンが福岡市街を襲うシーン、風で飛ぶ看板を仰角で捉えたショットなど、 当時の手作り特撮にしては頑張っているショットがいくつかあった。 ラドンが起こす強風の表現。 飛ばされるクルマはいかにもそのまんまミニカーだが。 その少し前のラドンと航空隊の戦いにも悪くないショットがあった。

小田基義「ゴジラの逆襲」雑感

小田基義「ゴジラの逆襲」Hulu 1955年公開 ゴジラ初登場で別の怪獣と格闘するシーン、 画角・カメラ位置の問題なのか、全然巨大に見えず、 コマ送りで撮影された小さなフィギュアにしか見えないショットがある。 大阪の戦いは暗い(夜)ので冒頭に比べればマシ、 ビル越しに仰ぐショットはまずまずの巨大感。 クライマックスのゴジラを埋める雪崩、 ショットによっては単なるアイスキューブ。 ヒロインの若山セツ子は僕の好みのじみかわ系。 丸顔のユーモラスな同僚(千秋実)のキャラ造形はアラシ隊員の原型っぽい。 おなじみのテーマ音楽は使われない(非常に物足りない)。

深作欣二「恐喝こそわが人生」雑感

深作欣二「恐喝こそわが人生」Hulu 1968年 ストップモーション、手持ちカメラの激しい移動、即興的な演者の動き。 金と女と酒が好きな軽いキャラで登場した松方の兄貴はだんだん渋くなっていく。 40分頃の波止場での低音で渋く語る台詞、58分頃の大物相手の1対1の会話。 ラストで松方が刺されて倒れるのは真っ昼間の旧日劇、付近一帯を押さえたとしたらなかなか大掛かりなロケ(ゲリラ撮影のように見えるショットもある)。

成瀬巳喜男「稲妻」雑感

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成瀬巳喜男「稲妻」雑感 比較的最近(記憶では10年以内)神保町シアターで観たのだが全然覚えていなかった。 一言で言うと変な映画。色々あるがそれでも人生は続く。 65分頃の浦辺粂子の台詞「どう思うたってこう思うたって、しょうがないじゃないか。そうなっちゃったんだもの」が、その口調も含めて、妙に面白く感じられたが、その面白さはうまく言葉で説明できない。この台詞が象徴する流され型の身内、高峰秀子の孤独な抵抗。 金の話、浮気の話、酒飲んでケンカ、など身も蓋もない話連発。 20代前半で観ていたら受け付けなかっただろうがトシを取る程に染みて来る。 和室の立ったまま、またはひとりが座った状態の会話(小林信彦が指摘?)。 研ぎ屋「ハサミ、包丁、カミソリ研ぎ〜」 傘修理「こうもり傘の〜なお〜し」 中北千枝子(次女の亡夫の浮気相手)を訪れた帰りに寄るのは深川不動尊。 高峰秀子プロフィール

「嵐を呼ぶ男」1957年版 hulu

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「嵐を呼ぶ男」1957年版 hulu 鑑賞メモ 名画座で観た記憶があるのだが、ドラム合戦とコンクリートで手をつぶされるシーン以外は全く覚えていなかったのは、Nouvelle Vagueの趣漂う「太陽の季節」「狂った果実」と全然違う方向性(戦前風浪花節)にあったようだ。 ストーリーの根本は価値観の違う母親との確執と和解だが、確執にも和解にも脚本的にさほど工夫もない。ドラマーとして成り上がる話、評論家(金子信雄)との三角関係、弟と芦川よしみの話もいずれも予定調和的なぬるい展開。 大人数を相手にした高低差がある廃墟のケンカシーンはこの作品の中ではまだしもの迫力。 ワイド画面を自慢したいのか、妙に画面の両端に人物が配置されるショットが3つくらいあった。 芦川よしみは非常にattractiveだが完全に脇役。 弟に対する感情をきちんと吐露するシーンはあって然るべきだったのでは? 40年代な雰囲気の青山恭二(弟)の髪型や物腰はこの作品の懐古的方向性の象徴。 石原裕次郎プロフィール

「ウディ・アレンの6つの危ない物語」

「ウディ・アレンの6つの危ない物語」amazonプライムビデオ タイトルから1話完結かオムニバスと思ったらひとつの話だった。 原題も「CRISIS IN SIX SCENES」だが、どこをどう解釈して6シーンになるかよく判らず、やや長めの映画を6つに分割しているような印象で、1話でケリがつくサブプロットは存在しない(1話約23分✕6)。 舞台は60年代。 Woody Allen演じる主人公は、売れない小説家、CMのコピーライターとしてはそこそこ売れて、現在はTVシリーズを企画中のアッパーミドル。 アレンと妻が暮らす大きな家に、指名手配されている過激派の女性が「しばらくかくまって」と転がり込んでくるという基本設定も、その後の展開もやや強引だが、おなじみのセピアっぽい画と音楽は悪くなく、俄然引き込まれるわけでも、退屈でどうしようもないという程でもない。 マジでキツくなってきたのはWoody Allenの滑舌。 ゆっくり話す分にはそれほどでもないが、早口でどんどんまくし立てる台詞は、若い頃に比べて断然滑舌が悪いので、「音」としての魅力が感じられず、ダメ押しのギャグ(ほぼ笑えない)が長く続くと結構聞くのが辛い。 過激派のMiley Cyrusは目と目の間が短い顔。Woody Allen作品のヒロインとしては、 Miley Cyrusにかぶれて爆弾を作る男の婚約者のRachel Brosnahan(1990年誕生)の方がハマる気がしたが、役柄とネームバリューの問題か。

瑞穂春海「あの丘越えて」

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瑞穂春海「あの丘越えて」1951年 Hulu これまでHuluで見た4本のひばりの映画「悲しき口笛」「東京キッド」「お嬢さん社長」「鞍馬天狗 角兵衛獅子」は、特に面白くはないものの一応破綻してはいなかったが、この作品は話の筋のつながりが不明瞭。 飯田蝶子のばあやに預けた理由も義理の母親が父親にウソをついた理由はよく判らず、最後のとってつけたような大団円に失笑モノ。 例によって美空ひばりの歌だけは一見(一聴?)の価値がある。 2番目のハワイアン風(花売り)はノリもよく、妙に耳に残るメインテーマもまずまず。 大学生役の鶴田浩二も歌うとは思っていなかった(なかなか美声)。 井川邦子と一緒に花を売っていた女の子がちょっと良さげだった。

木下恵介「カルメン故郷に帰る」

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木下恵介「カルメン故郷に帰る」1951年 Hulu Huluの紹介は「カルメンが引き起こす騒動を描いた傑作コメディ!」だが、コミカルな効果を狙っていると思われる部分にはほぼ魅力を感じなかった。三井弘次の馬のギャグ(?)は蛇足に感じたほど。 そもそもこの作品はコメディなのか? 佐野周二がオルガンで歌うマイナー調の曲が醸し出すセンチメンタリズムが主調ではないのか? 全体的にドラマ部分が物足りない。 坂本武とデコちゃんの親子はもっと直接対決するべきでは?(香盤表的モンダイか?) 日本初のカラー映画だが、フィルムの保存状態が悪いのか、常に画面にちらつきがあり、雄大な自然、空、山の美しさは味わえないコンディション。 高峰秀子は派手なメイクは似合わない。カラーで見慣れていないだけかもしれないが…。 全くの初見かと思っていたが、BSかWOWOWでやったのを部分的には見ていたようだ。 その時も「この高峰秀子のメイクは…」と感じていた事を思い出した。 ×××××× 部分的に再見してみたが、やはり芯となるストーリーが強度不足と感じた。 冒頭、坂本武は家出して東京でストリッパーをしている娘を断然快く思っていない。 こう始まったからには、親子ふたりが再会してぶつかって和解するかどうか、という話が基本線になるべきだと思うのだが、そうはならず、ふたりが出会うシーン(25分頃)はなんとなく和解してるようにも見える曖昧演出(ここは本筋から言えば断然大いに対立するべき所)。そもそも、坂本武と高峰秀子が一緒にいるシーンがこのワンシーンだけなのも不自然で、結果はどうあれ坂本武はストリップショーを見て(脱ぐ寸前で去る?)、その後別れのシーンで何らかの着地があるのが王道の展開で、やはり香盤表的モンダイを疑いたくもなる。 佐田啓二も何の為にいるキャラクターなのかいまいち不明瞭。 ストリップは芸術なのか? ストリップを「見る」事は果たして文化なのか? という底流モチーフも、視力を失って「見る」事ができない佐野周二との対比でもっと掘り下げられた。

大曾根辰夫「鞍馬天狗 角兵衛獅子」

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大曾根辰夫「鞍馬天狗 角兵衛獅子」1951年 Hulu 美空ひばりは角兵衛獅子の唄い手の少年。 例によって「ドラマ部分」は新宿コマの2部構成の歌謡ショーの「劇の方」みたいな感じだが、美空ひばりの歌と、冒頭と中間部(50分頃)の川田晴久の歌はやはり良い。 鞍馬天狗のアラカン、殺陣の時にクロウスアップの表情がどこかおどおどしている感じに見えた。時代劇は苦手なのでアラカンは殆どまともに見た事がないのだがいつもこんな感じの表情なのだろうか。 悪役の加藤嘉は晩年とは違って目力強力で強烈な印象。32分頃の牢(?)を覗き込む表情はまるでティーバック(プリズン・ブレイク)。 出番は少ないが西郷吉之助の三島雅夫もいい味を出していた。 馬が走るスピードが速いのはフィルムの早回しと思われる。 ※角兵衛獅子…少年の踊子が口上や太鼓に合わせて曲芸を演じる大道芸 美空ひばりプロフィール

川島雄三「お嬢さん社長」

川島雄三「お嬢さん社長」1954年 Hulu(初見) ストーリーは相当御都合主義気味。 15分頃の美空ひばりと祖父の対立の会話は説明台詞乱れ打ち。かなり強引な設定・展開で大会社社長の孫娘の美空ひばりが社長になる。 クライマックス前のローポイント、会社を辞めて置き手紙(「さよなら」!? )で家出(?)する展開はなんだかよく判らない。これは脚本上は、実は会社の為の狂言って事なのだろうか? 悪徳社員にだまされる契約に関する時限爆弾が明確に設定されていないので、周囲が慌てて探す理由もすっきりしない。 毎度おなじみ「みんなが仲間の下町」は映画やドラマの中だけに存在する便利なファンタジー世界だが、割り切ってみればそれなりに楽しい。桜むつ子の出番はごくわずか。桜むつ子の娘役・小園蓉子はwikiによると「お茶漬の味」の女中ふみ。小園蓉子と美空ひばりがてけてんてん…と神社で踊るシーンは唐突でなんだか妙なおかしさがある(60分頃)。 16歳くらいの美空ひばりは(子役の頃もそうだったが)中年以降の面影濃厚。美空ひばりの歌には全てを補う魅力が確かにある。聴いているうちに映画全体のストーリーのご都合主義的展開がどうでもよくなってくる。この映画の「ドラマ部分」は新宿コマの2部構成の歌謡ショーの「劇の方」みたいなモノ(ありがちでOK)と理解すれば良いのだろうか。 美空ひばりプロフィール