投稿

12月, 2021の投稿を表示しています

John Hughes「ブレックファスト・クラブ」雑感

イメージ
John Hughes「ブレックファスト・クラブ」1986年日本公開(1985年制作) 通算4〜5回目の鑑賞だが、何度観てもこの作品を心底からは好きになれない要素が2つある。 ひとつは不良男・Judd Nelsonのルックス。 アクが強すぎる顔、デカすぎる鼻がどうにも生理的にダメ。 脇でたまに映るだけなら良いのだが、集団をかきまわして物語を動かすメインパートで、クロウスアップもたくさんある。クロウスアップ(特にアオリのクロウスアップ)はキツい。 もうひとつは最後にとってつけたように2組がカップルっぽくなる着地。 Molly RingwaldとJudd Nelsonはまだ物語のパターンとしては理解できなくもないが(それにしても川を渡る瞬間は描かれていない気はする)、お嬢様っぽい髪型・メイク・服装にしたAlly SheedyがEmilio Estevezとくっつくのが良き事のように描かれているのは非常に疑問。そもそも、元のファッションの方が魅力的に見える。 土曜日の図書館で一瞬心を通わせて一緒に踊ったりするが、月曜日にはそれぞれの世界のそれぞれの日常に戻っている、という着地の方が良かったと思う。 ブレックファスト・クラブ 作品データ

Lana Wachowski「マトリックス レザレクションズ」雑感

イメージ
Lana Wachowski「マトリックス レザレクションズ」109シネマズ二子玉川  過去3作は劇場公開時、DVD購入時に加えて1〜2回、各3〜4回は見ている筈だが、大きな設定・世界観以外はよく判らない展開が多かった。今作も過去3作と同様、殆どの展開は何がどうなっているかよく判らない。一言で言えば、<ネオとトリニティが再び目覚める話>だが、例えば、冒頭の展開が時系列的にどこに繋がるかもよく判らない。 常に事態は進行中で、上映時間は長いが、特にダレる部分はなかった。 モンタージュ・シークエンスが使われるのは事態が動く前の「繰り返される日常」部分のみ。 電話線(ハードライン)を使ってマトリックスから現実世界に戻る、という設定がなくなったらしいが、どうやって戻るのか(どうなったら戻れないのか)はよく判らなかった。 よく判らない=つまらないではなく、アクションシーンは普通に楽しく、よく理解できない事を話しているシーンもそれなりに楽しい。いずれにせよ、予備知識なしで1回観ただけでは設定やルールを理解するのは至難の業。 字幕のカタカナ表記は「マトリックス」「ネオ」だが、実際の発音は「メイトリックス」「ニオ」が一番近いように聞こえる。 そもそも、世の中にある物事で、全てを完全に判るものなんてありはしない。 自分の事だってよく判らないし、自分が実際に体験した事だって殆どは忘却の彼方。 自分が体験した事でそれなりに覚えている事は人生全体の1万分の1程度ではないか?  本や映画に触れて判った気がするのも、判った気がする部分に関してそう思うだけ。 それも単なる誤解か勘違いかもしれない。 基本的な設定・世界観は判るが、ミッションの勝利条件がよく判らない、人物同士の会話がよく判らない(意味が判らない言葉がある)という展開が続くにも関わらず、なぜか観ていて飽きない、という皮膚感覚は、エヴァンゲリオンの直近の2本に似ている。映画の根本の本質に関わる共通した何かがあるのかもしれない。動く映像と音と音楽を<体感>する事が映画の一番の本質で、言葉で説明できるストーリーは副次的。自宅の小さなモニターと限定された音環境では映画の本質的魅力は大幅に減少する。 ※宇多丸さんもまあまあ近い文脈でエヴァンゲリオンとの相似に言及(21/12/24放送分) マトリックス 作品データ

劇団ひとり「浅草キッド」雑感

イメージ
劇団ひとり「浅草キッド」2021年配信(Netflix) 芸人ものやバックステージものは大好きなので、充分楽しめたが、世間に絶賛評が溢れているようなので、あえて、気になった点に触れてみたい。 複雑な入れ子構造で、主人公たけしが、コンビの駆け出しの頃、更に遡ってフランス座時代、売れ始めた頃を回想して冒頭の時期(現代?)に戻る構造だが、たけしの師匠・深見に関するストーリーの強度と深見役・大泉洋の演技のインパクトが非常に強烈で、明確に深見を主人公にして構成した方がもっと良かったのではないか、と感じてしまった。特にそれを感じるのはラストの<あの頃のフランス座>を歩くほぼワンショットの長廻し。たけしが回想するこのパターンもそこそこ感動的ではあるのだが、これが一番生きるのは死ぬ間際に見る最期の夢(例「タイタニック」のラスト)。映画全体が完全に深見の話になっていて、この部分が、深見が死ぬ間際に見た最期の夢(深見が劇場内を歩き回る)だったなら、更に感動的だったのではないか。 AIが劇的に進化して、今後の配信コンテンツに起こりそうな機能を夢想する。 オリジナルバージョンとは別に、視聴者が希望する方向/尺にあわせて、AIが個別に再構成・再編集を瞬時に行なって視聴者に提供するようになる(ひとつのコンテンツは、オリジナルバージョン以外に視聴者が設定した数の別バージョンを持つ事になる)。 例えば、以下3つの別バージョンをAIが提供してくれるのならば、 ①深見の話にする(構造を変えてたけしの話を減らす) ②たけし/深見が並立する話にする(上り坂の芸人と下り坂の芸人が浅草ですれ違う話) ③もっと明確にたけしの話にする(深見の話を減らす) 僕が一番見たいのは①だが、②のバージョンも興味深い。 ②のバージョンでラストは誰の視線か限定させない(現在のたけしを登場させない、カメラだけがPOV風に移動する)というパターンまで指定できるようになっているかもしれない。 以下、再び普通の感想(雑感)。 現行バージョンでたけしの話を強化するならどうするか? 深見の話をもっとたけし目線で語る。 例えば、深見初登場シーンは、深見が劇場に入って行くとたけしがいる(現行)ではなく、たけしとおばちゃんが話をしている(弟子入りの相談)所に深見が来る、という流れで、全てたけしの立場から語る。たけしが賞金を渡しに行くシーンは、タ

John Hughes「すてきな片想い」雑感

イメージ
John Hughes「すてきな片想い」1985年日本公開(1984年制作) 80年代に多数の青春映画を製作・監督したジョン・ヒューズの初監督作品。 過去に3回は見ている筈だが結構細かい部分を忘れていた。他の ジョン・ヒューズ 系作品と記憶がごっちゃになっていた部分も多数。 ジョン・ヒューズ 系青春映画の中で一番好きな「恋しくて」に比べると、メインの恋愛話に強烈な物語はない(少女マンガのような展開に着地)。物語冒頭からお互いに好意を持っている事は判っていて、すれ違いのみの展開で、恋の成就に対する大きな障害はない。 挫折や成長が主人公に必要な要素と考えるなら、Molly Ringwaldより、むしろAnthony Michael Hallの方が主人公にふさわしい。前半はかなりMolly Ringwaldに執着しているが、最後はMichael Schoefflingのガールフレンドと仲良くなって満足しているように見える。 ストーリーの大枠は恋人交換モノの変型とも言える。 主人公Molly Ringwaldの相手役がいまいち魅力不足で、とってつけたようなラストは正直気に入らない、と見る度に毎回感じていた気がするが、50代半ばのいまの視点で見ると、全ての恋愛映画はファンタジーに思えてどんな結末も許せる。本当のリアルは恋愛の熱が覚めた後にある身も蓋もない話。若い頃の恋愛を突き動かすエンジンは、誤解と妄想と性欲に過ぎないという事はトシを取れば明白だが、当時はそこまで自覚的ではない。若い時は心の衝動を純粋な恋愛感情と思って突き進めるなら突き進む方がいい、言葉に出して行動すれば関係は一夜で進む事もある、という一種の皮肉を込めた話と解釈したい。25歳を過ぎれば打算抜きの純粋な衝動ではなかなか突き進めない。 Molly Ringwaldは殆ど会話をした事もない憧れの上級生に誘われて、ふたりだけで自らの16歳の誕生日を祝う(ラストシーン)。この恋愛がこのままずっと続くとは到底思えないが、それでも結局何もないまま15歳の1年間が過ぎた、という結果になるよりはいい、と作り手は思っていると想像する。 音楽の使い方が独特で面白い。 登場の度に繰り返しかかるAnthony Michael Hallの短いテーマ。 自分の部屋にいる祖父母に気づかれたくない時にかかるサスペンス。 ヒロインMolly R

河崎義祐「プルメリアの伝説 天国のキッス」雑感

イメージ
河崎義祐「プルメリアの伝説 天国のキッス」1983年公開 初見。 1983年公開だが、60年代〜70年代の映画・ドラマのようなムード。 身分違いの恋、すれ違い、過剰な復讐など、既視感ありまくりの展開だが、やっぱり東宝だから全体的に緩いなあ、と思って見ていたら、最後は松田聖子死亡と唐突に大映。 当時20代前半でアイドル絶頂期の松田聖子のルックスは、正直、髪型・メイク・角度・照明すべて最高の仕事をしてもクロウスアップはどうか?というレベル。実際、この作品でも、アイドル映画としてはクロウスアップは少ない。バストショット程度が丁度いいw 歌番組やバラエティのコントでもあまり見られない松田聖子のあれこれ。 日舞、将棋、ヤクザの女親分(空想)、みこしかつぎ、など。 ハワイが舞台なので当然あるかと思った水着姿はなし。 少し口を開けて交わす中井貴一とのキスはアイドルの域を超えてエロティック。 松田聖子を眺めるアイドル映画としては、ストーリーはなんでもよく、松田聖子の様々な顔や感情を眺める事ができれば正解なのだろうが、その点は少し物足りない。感情を爆発させる表情を見られるショットがもっとあってもいい。 松田聖子プロフィール

Michael Hoffman「プロミスト・ランド 青春の絆」雑感

イメージ
Michael Hoffman「プロミスト・ランド 青春の絆」1987年制作 この作品も「レス・ザン・ゼロ」と同様に、レンタルビデオを初めて見た時から妙に心が騒ぐ作品。初見から30年たったいま見ても、当時と同様に心が騒ぐが、それをうまく言葉で説明する事ができない。 雪原(道路は見えない)をクルマがまっすぐ進んで行くシーン(36分頃)。まわりこむカメラ。この世の果てのようなに見える景色。なぜこのショットに妙に魅かれるのか、よく判らない。言葉で説明できない何か。 路端に停めたクルマの刹那的なカーセックスの美しさと哀しさ(38分頃)。 見る人によっては、単に寄る辺なきふたりが慰めあっているだけの、みじめなシーンに見えるかもしれないが、僕はこのシーンにも心のざわめきを抑えられない。こんな場所での刹那的な情交でも、このふたりにとっては(当人は気づかない)ever lasting moment。 クライマックスのサークルK強盗シーン、ダニーがパトカーのデイヴィーに気付くくだりはちょっと判りにくい。窓のすぐそばのスペースに停めた瞬間のデイヴィーのクロウスアップショットが欲しかった(86分頃)。 映画のお約束としては「シックス・センス」と同様に、事実上即死、という事なのだろうが、ドラマ「ER」をさんざん見た後では、腹を撃たれただけならまだなんとか助かるのでは? と思ってしまう。 ラブコメの女王と呼ばれる前のMeg Ryan(1961年誕生)が、赤髪・タトゥー入れまくりの不良娘を好演、ちょっとハスキーな声が役に合っている。一瞬乳首を見せるのは23分頃。最初の代表作「 恋人たちの予感」はこの作品の2年後。 プロミスト・ランド 青春の絆 作品データ

Stephen Chbosky「Dear Evan Hansen」雑感

イメージ
 Stephen Chbosky「Dear Evan Hansen」109シネマズ二子玉川 一風変わったミュージカル映画。 ミュージカル要素を除いても、僕の知識では、前例・類型が思い浮かばないストーリー。 終盤にウソがばれるとして、どこに着地させるのか想像できずに中盤を観る。 結局、ビターエンドというべき所に着地。 悪くはないのだが、ウソがバレた後に、もうひとひねり何かが欲しかった。 全体的に脚本はもっとブラッシュアップする余地があると思う。 手紙を死んだ息子が書いたと信じる展開も、アイディアそのものは良いのだが、両親が信じるのがちょっと簡単過ぎる。ここももうひと工夫何か欲しい。 物語が動き出す(コナー死亡、両親と会う)までのテンポは悪くない。 偽りの過去で、主人公、コナー、主人公の唯一の友人がゲーセンで一緒に歌って踊るシーンの奇妙な多幸感。誰も他人の事なんかよく覚えていない(自分の事だって全てを覚えているわけではない)。こういう事だったという事にしても別に誰も困らない。偽りの過去を画で見せるのは、小林信彦によれば映画文法としてルール違反らしいが、この20〜30年で完全に全然アリになっていると思う。 ヒロインの Kaitlyn Dever(1996年生まれ)、どこかで見た事があるような気がしてたが「ブックスマート」の主演ふたりの片方だった。メイク・照明に頼らずともどこから見ても美人、という程のレベルではない。この作品では、最初の遠景ショットが一番かわいく見えた。