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「A MOVIE 大林宣彦、全自作を語る」読書メモ

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 「A MOVIE 大林宣彦、全自作を語る」 電話帳のような厚さで昔の文庫本のような小さな活字。 圧倒的な情報量。本文約700頁。 大林宣彦が自分の言葉で語る具体。 到底一読では消化しきれない読み応え。 インタビュアーの知識量も相当なレベル。 "通常、映画のシナリオを作る時は、Aが知っている事をBは知らない、という前提で話が進む事が多いが、僕のやり方では、Aが知っている事はみんな知っている、そういうつもりでホンを書く。それが僕のテンポアップの方法です。"(P599)

中原俊「櫻の園」(1990年)雑感

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中原俊「櫻の園」1990年公開 青春映画の佳作。 女子校演劇部の朝の数時間、創立記念公演の幕が上がるまでのあれこれ。 何気ない会話、女性同士の淡い恋慕、ちょっとした事件。 学校(部活動)という同じ場所に毎日集まって仲間と過ごした時間、その最中は永遠に続くかのように思えた時間(青春)は、気がつくと過ぎ去っている。 アイスを食べながら語る前半のクライマックス、「先輩たちは今年しかない、私たちは来年しかない」という台詞は、コロナ禍のいま(2021年夏)見ると余計に沁みる(41分頃)。 「1年後には私たちはもうここ(部室)にはいない」と感慨を持って言えるのは、まだ青春の渦中にいるから。いずれ「100年後にはいま生きている人の殆どは、もうここ(地球)にいない、1年後も100年後も、いつかは必ず来るという意味でそれほどの違いはない」という諦念の境地に否応なく近づいてしまう。 公開当時に劇場で鑑賞した時は、ぎりぎりの年齢(24歳)で主人公の高校生たちに自然に移入して、アクチュアリティあふれる台詞に非常に感心したのだが、31年後のいま見ると、もちろん当時の若者の話し言葉のムードや流行が垣間見えて面白い、とも言えるが、当時の話し言葉が多用されている分、31年分古びている、とも言える。1990年春でなければ成立しない、という話ではないので、大林宣彦的方法論で、時代の流行を取り入れない棒台詞の方が、逆に永遠の古典性を強めた可能性もある。 ラスト間際、唯一大人同士が会話するシーン(演劇部顧問と元演劇青年の男性教諭が桜並木で語るシーン)、生徒たちの「いま」もいずれこのように過去の想い出になるという真理を補強する効果をになってはいるが、このシーンなしで、完全に全編徹底して生徒視線で描ききった方が、物語はより純粋に結晶化したような気がする。大人がひとりも登場しない描き方(教師も姉も伝聞または画面外でのみ登場)もありえたかもしれない。 「恋人たちの予感」のBilly Crystalのように毎日のように死について考えてしまう僕は、誰もいない部室に桜の花びらが舞い込んでくるラストショットで涙腺が緩む。僕は、この手の空ショットにはどうにもヨワい。「リンダ リンダ リンダ」のラスト演奏シーンの校内(特に下駄箱あたり)、宮崎駿「風立ちぬ」のエンドロール…。 映画美学校に通っていた頃、じんのひろあき氏と一緒に

今関あきよし「アイコ十六歳」雑感

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今関あきよし「アイコ十六歳」1983年公開 混沌とした雑多な魅力に溢れた映画。 いろいろな話があるが、どれが主軸がよく判らず、 この作品全体の雑多なムードが青春時代を象徴している。 スマホもパソコンもない1980年代の青春。 自宅の家電、近所の公衆電話で異性に電話する。 原作で時々登場する雑誌のレタールームは映画には登場しない ※雑誌のレタールームは2021年のSNSのようなもの、 若者が読む雑誌にはこの手の読者のお便りコーナーがたいていあった 文通希望、趣味のサークルのメンバー募集などもあった ジョーズ風POVからグローイングアップ風に着地する下ネタは、 前を押さえずに走りまわり、最後は転んで岸部四郎の顔の上に尻もち、 という所までとことん暴走して欲しかったw(20分頃)。 音楽が流れて台詞がないシーンが妙に魅力的に見える。 特に、サザン「Never Fall In Love Again」が流れるボンファイヤー(29分頃)。 友人の数は多牌気味。 冒頭でニックネームでメインキャストとして紹介されても、 コレといった強い話はなく、多分初見では紅子以外は誰が誰だかよく判らない。 名前があるキャラクターは、 あいつ(元彼氏)の展開に絡む親友ひとり(ゴンベ)と、 敵役ひとり(紅子)でストーリー的には成立すると思う。 二人乗りの自転車のカゴの左側についている小さな人形が、 次のショットでは消えている(よく見るとカゴの右側についている)のは、 単なるミスなのか、それとも、この後の事故の予兆なのか?(85分頃) ミドルティーンの富田靖子の圧倒的魅力。 やや不機嫌な表情をアオリで捉えたクロウスアップ。 ラストショットの オーバーオールの印象は「さびしんぼう」に直結してしまうw その他、原作と映画の違いなど、箇条書きで。 ※堀田あけみ「1980アイコ十六歳」(1981年、河出書房新社、33刷) ◯映画以上に雑多で饒舌で登場人物も多い。 「お前は誰なんだ?」という人物がいきなり普段の呼び名で多数登場。 映画のストーリーや人間関係は原作に比べればまだ整理されている ◯アイコと紅子は対立したまま ◯映画ではボンファイヤーのシーンで唐突に語られるカンパの話(P147) 映画ではアイコと紅子はカンパを拒否するが、原作ではカンパに応じる ◯ラストのバイク事故、あいつかどうか判らない書き方(P1