投稿

10月, 2022の投稿を表示しています

金子修介「百合の雨音」雑感

イメージ
金子修介「百合の雨音」HT渋谷   木管とピアノと弦のジブリ(トトロ)っぽい音楽が非常に印象的。 どことなくアニミズムを想起させるこの音楽が、合っているような合ってないような、何度も流れるうちにだんだん合っているような気がしてくる。この音楽は、女性同士の性愛シーンだけに使われていて、男と女の性愛シーンは無音だった気がする。 出版社が舞台の歪んだ四角関係の話。 誰も本気で愛してない、と思いきや、そうでもない事が後半判明。 小説家志望の男性の母親は誰なのか? おそらく過去の出来事としてモノクロで描かれる制服姿のふたりの女性、ひとりは主人公だと思って観ていたが、そうではなく、どちらかが小説家志望の男性の母親で、どちらも生まれ変わっていた、という事なのか?? 世の中にアダルトビデオもレンタルビデオ店も存在していなかった頃、映画館で初めてロマンポルノを最前列で観て、その性愛シーンに10代後半の僕は素直に興奮していたが、あれから40年、ネットで無限に見られるようになったいまは、一般映画のソフトな性愛シーンはむしろドラマ進行の妨げと感じる事さえあるが、この作品の女性同士の性愛シーンは、繊細な照明と奇妙な音楽で、性的な興奮こそないが、まずまず楽しめた。ホテルの部屋の照明がそうなっているという設定なのか、主人公と室長の裸体を照らす光が、赤っぽい色〜青っぽい色に微妙に変化。このライティングと前記の音楽で、なんともいえない不思議な境地に誘われた。

Andrew Dominik「ブロンド」雑感

Andrew Dominik「ブロンド」Netflix 166分 結構アート寄り。 配信作品としてはあまりに長尺。 3Pセックスでモーフィング風に溶け合う肉体はかなり不気味。 ベッドに重なる滝のオーバーラップは絶頂とともにどこかへ落ちて行く自分? モンローの行く末の暗示、という解釈もできそう。 モノクロとカラーを使い分ける意味は初見では掴めなかった。 シンプルな構造(ひとりの主人公でひとつの話)の配信作品としては常識外れの166分という超長尺、Netflixだけでも見きれない程の数の作品がある2020年代にこれだけ長尺にする意味は正直測りかねる。どうしてもこの長さにしたいのなら、むしろ数話のミニシリーズでも良かったのでは? 近未来のコンテンツは、全ての作品がいくつもの長さの複数のバージョンを持つようになる(視聴者の好みにあわせてAIが編集する)と夢想するが、ワンバージョンの現時点では、よほどの事がない限り、映画は90分以内、ドラマは45分以内にして欲しい。YouTube世代が世の中の中心になれば、映画は60分、ドラマは30分以内が基本になってもおかしくないと思うが、さてどうなるか。同時に、本当に好きな人向けのとんでもないロングバージョッンも存在する事になると予想。 ヒロインは下半身が結構太く見える。実際のマリリンの体型に寄せている?

「コブラ会 シーズン5」雑感

イメージ
「コブラ会」シーズン5 Netflix 今シリーズも過去の映画に登場したキャラをいろいろ出して頑張ってはいるが、シリーズが進むにつれて息切れ感は増して来た。シーズン3あたりで終わっていた方が良かったかも。 #1#2メキシコ編は番外編の趣、#3#4はテンポいまいち、#5からマシになってくる。 一度バラけたダニエル側が再結集、という大きな流れ。 ミゲルとロビーが対立する話、ふたりとも彼女と別れる話、ダニエルが妻と対立する話、いずれのバラけ話もさほど緻密ではなく、対立構造を作る為のとってつけたような話。 #10ジョン・クリース脱走は「羊たちの沈黙」オマージュ。 "セカイタイカアイ"は次のシリーズで開催?

「ゲーム・オブ・スローンズ」雑感

イメージ
「ゲーム・オブ・スローンズ」Amazon 全8シーズン 最後が残念。話が収斂してゆくまでは非常に面白かった。 覚えきれない程の人物が登場して権謀術数渦巻く複数の話が並行して進行するシーズン6あたりまでは非常に楽しめたが、話が収斂してひとつのシーンが長くなると、話の粗い部分(歩兵の大移動を把握していない、など)が感じられるようになり、各話約60分という長さも次第に冗長に感じられてきた。 話が収斂するまでは、ひとつのシーンの長さは体感では長くて10分以内、登場人物を確認するだけでも一苦労で、それぞれのシーンに濃厚な物語があったが、シーズン7あたりからその傾向は弱まってきて、最終のシーズン8は、各話90分近い長尺でほぼひとつの話。シーズン8の長尺回は、映画館で没頭して集中して観る事を考えて作られているような感じで、僕の視聴環境ではそこまで画や音の迫力も楽しめず、相当冗長に感じられた。 人間ドラマが充分面白いのでファンタジー要素はもっと少なくても良かった。北から来るゾンビは結局生態も目的もボスの正体も最後までよく判らず、8-3の最終決戦は延々暗い画面で判りにくかったせいもあって印象が悪い。火を吹くドラゴンは画としては非常に魅力的だが、戦力バランス的には強力過ぎで、8-5の核兵器使用を思わせる無差別虐殺は非常に後味が悪かった。総じて、人間ドラマ部分に比べて、戦いの戦略や戦術の描写は(意図的なのか)いまひとつだった。 STAR WARS EP7〜9のフォースの強大化にも言えるが、ファンタジー要素による戦力は限定的でないと話全体のバランスは崩れてしまう。最後があんな風だと、最初からドラゴンにひとりで乗っていきなり攻撃しても良かったんじゃないの? って思えてしまう。ファンタジー要素は少年の千里眼と紅い女のちょっとした魔術程度にして、ゾンビもドラゴンも登場せずに徹底して人間ドラマで押し切ってくれたらどうだっただろう、と想像してしまう。もしくは、ドラゴンは登場したとしても、火を吹いて攻撃する事に関して様々な制約を儲けてほしかった。例えば、ドラゴン自身に正義を求める心がある、とか。 奴隷解放を進めてきたデナーリス(民主主義?)とサーシー(独裁政権?)が最後に対決する話だと思って見ていたのが、デナーリスが最後に無差別大量虐殺。庶民に寄り添う側に見える方が大量虐殺という皮肉、権力を狙う人間は

アントニオ猪木逝く

アントニオ猪木の訃報から1日経過してじわじわときいてくる。 週刊プロレスを貪り読み、ワールドプロレスリングを録画して繰り返し見て、全日本プロレス中継も敵情視察として一応見て、タイガーと猪木の試合に胸を熱くして、イノキボンバイエが流れると毎回心が踊っていた。ほんの40年前の数年間、新日本プロレスは、僕にとって、ガンダム、STAR WARS、同年代のアイドル、小林信彦の小説と並ぶ、日々を生きる重要な何かだった。