東陽一「もう頬づえはつかない」雑感

東陽一 「もう頬づえはつかない」1979年公開

80年代半ば頃にテレビで放送されたのを断片的に見た記憶があり、その時は「なんだか暗い映画だなあ」「桃井かおりのモノマネの原点はこの作品なのかな? 」という程度の印象しか持たなかった気がする。その頃の僕は、70年代の普通の日本映画(つまりSFでもアニメでもエンタメでもない普通の人間が登場する普通のドラマ)にはあまり興味を持っておらず、たまに見ても殆ど何も掴めなかった(小津を見ても「単なるホームドラマ」と感じていた)。

いまAmazonで見ると、ストーリーそのものにはあまり魅かれなかったが、70年代の光景を眺めるだけでも楽しい。外ロケそれなりの尺、セットも作っているアパートの部屋も懐かしいモノを楽しむのに充分な長さ。

奥田瑛二のキャラは、70年安保を引きずっているらしい理屈っぽいインテリの森本レオと対照的なキャラとして設定されるのが王道なのだろうが、ATG的リアルはそんな判りやすい典型には行かず、ジャン・コクトーとリルケの話から察するに別の種類の面倒なインテリな気もするし、一方、吉野家のシーンには、今を生きる普通の若者のムードが前面に出ているようにも感じられる。映画の結末から察するに、どっちを選んでも同じ、という方向性であえてこういう(曖昧な?)キャラに設定している気がしないでもない。

それにしても、70年代はこういう理屈っぽい女好きがそんなにモテたのだろうか? 予備知識なしでこの映画を見た限りでは、普通の女子大生(と描かれているように見える)の桃井かおりが森本レオに激しく恋をしてしまった理由はよく判らなかった。

ラストの桃井かおりの引っ越し(ストップモーションの笑顔)は、70年代的な閉塞的人間関係を脱して新しい風(揺れるカーテン)に乗って<翔んでる女>に生まれ変わる、と解釈したい気もするが、かかっている曲(声も曲調も暗い!)からすると、それを目指してもやっぱり同じような男を好きになって同じような事を繰り返す、という気もしてくる。

高度経済成長で生活は豊かになってはきたが、なんとなく先行き不透明な時代の気分・ムードが、作品全体の通奏低音になっているような気もする。結局35年を経て見た今回もしっかり掴む事はできなかったようだ(冒頭の撮影開始前の現場のお喋り? の意味なんてさっぱり判らない)。

カーキ色のジャケットはこの当時の大流行? 桃井かおりのロングコートもカーキ色。「ヒポクラテスたち」で内藤剛志もカーキ色のジャケットを着ていたような気がする。

もし2020年にリメイクするなら、桃井かおりは成海璃子、森本レオは池松壮亮、奥田瑛二はあまりマッチョなイメージがないルックスが良い若手なら誰でもいいがパッと浮かんだのは杉野遥亮、伊丹十三のような曖昧な雰囲気の俳優は即座には浮かばないが、例えば大森南朋、少し意表を付いてムロツヨシはどうだろうか。池松壮亮がパッと浮かんだのは「海を感じる時」のATG的印象からなのは多分間違いない。

Wikipediaによると原作の見延典子は高校の10年先輩。Amazonに中古の文庫があったのでポチっておいた。

以下、更に個人的な雑感。

桃井かおりと奥田瑛二が同棲する部屋にある、小さなアナログテレビ、小さな食器棚、小さな折りたたみテーブル、ラジカセ、ファンシーケース。83年放送の「ふぞろいの林檎たち」の時任三郎の部屋もこんな感じ。僕が大学に入った84年は、僕を含めて地方出身者の大半はこういう風呂なしの部屋に住んでいて、私見では85年頃まではまだまだ僕の周りの世間は70年代のムードだった。

少し風向きが変わって来たのは86年春。僕もこの時期に最初の風呂なしの部屋(家賃3万円台)からワンルームマンション(家賃6万円台)に引っ越したが、この年の新入生は、殆どが最初からワンルームマンションに住んでいて、大学生の狭い世間にも次第にじわじわとバブルなムードが盛り上がっていったようだ。もっとも、僕の場合は、一般世間のバブルが絶頂の90年〜91年頃に、ふたたび風呂なしの安アパートに住む生活に戻ってしまうのだが…。


桃井かおりプロフィール

奥田瑛二プロフィール

もう頬づえはつかない 作品データ




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