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11月, 2021の投稿を表示しています

タナダユキ「ロマンスドール」雑感

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タナダユキ「ロマンスドール」角川文庫 2019年(単行本2009年発行) タナダユキ自身の脚本・監督による映画版をNetflixで2000年の夏に鑑賞。映画は、アートを志向していまいちうまく行かなかった作品という印象を持ったが、この原作に対しても同じような印象を持った。純文学を志向しているが、割合としてはラノベレベルの文章が多く、結果として中途半端な作品になってしまっているような。 主人公は園子のどこに魅かれて結婚を決意したのだろう?  ルックスは語られている。ルックスだけなのか?  そもそも出会ってから結婚に至るまで、主人公と園子は血の通った会話を殆どしてない。 園子が主人公のどこに魅かれたのかもよく判らない。 別にルックスと肉体だけに魅かれて結婚した、という話でも良いのだが、それなりに周囲の人間も登場して、相対化させようとしているものの、根本の話が曖昧なので、全体的にぼやけてしまっている印象。 映画版を見た時にも感じたが、セックスレスとか浮気とかの話も不要で、妻とラブドールに対する狂気の愛が等価に偏在して(主人公にとってその2つが全て、その2つが満たされれば他に何も要らない)、妻の死後に妻に似せたラブドールを完成させて彼岸に行って戻ってこれなくなる所に着地する方が、ありがちと言えばありがちだが、妻とラブドールを同じ女優が演じる映画の嘘でそれなりに狂気の愛の新しい形は描けたのではないか。 とにかくこの作品を映像で表現するなら女優のヌード必須。 その意味でも映画版は中途半端な作品だった。

根岸吉太郎「遠雷」雑感

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根岸吉太郎「遠雷」1981年公開 U-NEXT配信中(2021.11.26現在) 81年公開だが、ルック・ムード・音楽は70年代。 80年代中ばに深夜のテレビで放送を見たような気がするが、記憶が定かではない。石田えりの肉感的なヌードとラストの歌以外は殆ど覚えていなかった。80年代中ばに見たとしたら、藤田敏八「 妹 」と同様に、画も話もビンボったらしい、という感想を抱いたのではないか、と想像する。 この作品も「妹」と同様に、いま見ると全然違う感想。 一番魅かれるのは当時の風景、クルマ、家具など。 主人公・永島敏行が乗る黄色いスポーツカー。 ビニールハウスにかけられている黒いラジカセ。 妊娠した子供を産む=女性の幸福という基本概念ありきで成立する会話(91分頃) 多分2021年の青春映画にはそのままでは通用しない。 ラストの「わたしの青い鳥」になんとも言えない感傷を覚えて動かされた。 なぜ動かされたのかはよく判らない。 一緒に歌って心が通じたような気がしても所詮その時だけかもしれない、という寂しさか?  今夜は美しい花嫁もいつかは祖母のように朽ちていく。 繰り返し登場する「水」が何を示しているのかはよく判らなかった。 公開当時20歳〜21歳のヒロイン・石田えり、個人的にはさほどツボではないルックス・体型だが、充分にattractive。映画前半から出し惜しみなし。モーテルに入る直前のクロウスアップ、ふてくされていながらどこかに満更でもない部分を含んだような顔で、クルマのフロントガラスがいい感じのソフトフォーカスにもなっていて妙に魅かれた(33分頃)。 遠雷 作品データ 石田えり プロフィール

三池崇史「土竜の唄 潜入捜査官REIJI」雑感

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三池崇史「土竜の唄 潜入捜査官REIJI」2014年公開 Amazon マンガが原作である事は知っていたが、仮に予備知識一切なしで見ても、最初の数カットでオフビートな作品である事が示されるので、「ぐらんぶる」に比べれば、断然入り込みやすい。 マンガ・アニメノリでやるなら、このレベルまで、大袈裟演出・オーバーアクティング に振り切ってくれた方が割り切って楽しめる。「ぐらんぶる」は中途半端。 土竜の唄 作品データ

英勉「ぐらんぶる」雑感

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 英勉「ぐらんぶる」実写映画 Amazon 予備知識なしで鑑賞。 冒頭から繰り返される全裸のタイムリープ!? の真相は、泥酔して野球拳で何度も全裸にされた、という事らしい。どんなに泥酔してもそこまで記憶を失う事はないと思うのだが、つまりはそういう世界観の話、という事なのだろう。 全編続くマンガ・アニメノリの展開・演出はどうにも好きにはなれないが、海と女優はきれいなので、なんとなく眺める分にはいいかも。鍛えている男性の裸もたくさん登場する。 酒に酔った与田祐希が金属バットを振り回して暴れるシーン、台詞や動きが程々の乱暴なレベルにとどまっているのでそれほど弾けない。バットを振る速度はポスプロで加工してでももっとヤバい速さにして欲しかった。 ぐらんぶる 作品データ

「Fear the Walking Dead」シーズン6 雑感

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 「Fear the Walking Dead」シーズン6 Amazon 基本構図はモーガンvsバージニア。 そこにいくつかの勢力が絡む。 最近の傾向として昔の作品(80年代前後)の事は覚えていても、最近見た作品ほど、細かい内容は思い出せない事が多いが、この作品も、前シリーズを見たのはごく最近の筈なのだが、殆ど内容を覚えていない。登場人物の名前もちゃんと記憶しているのはモーガンだけ。顔を見た記憶はあるのだが、名前も設定も思い出せず、そもそも本家Walking Deadの方に出ていたか、こっちに出ていたのかの記憶さえあやふや。登場人物が多くてどんどん途中で死んでいくのである程度は忘れてしまっても仕方がない気がするが、それにしても忘れすぎな気がする。

川上弘美「溺レる」読書メモ

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川上弘美「溺レる」文春文庫 (単行本1999年発行) 川上氏の作品を読むのは多分初めて。 独特なテイストの8つの短編は、いずれも女性主人公と相手男性の奇妙な関係を描く。カタカナで表記される男性の名前は各作品で異なるが、ひとりの男性の相似形と読めなくもない。 短編と言えども小説にある程度は存在すると思われる定型・形式のようなものから自在に遠く離れて、通常の現実世界とは微妙にずれたどこかを漂っているような構成と筆致になんとも言い難い魅力がある。 全ては唐突に始まって唐突に終わる。 前触れようなものは夢で曖昧で見た。 人生も終わってみれば多分そんな感じ。

Denis Villeneuve「DUNE デューン 砂の惑星」雑感

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Denis Villeneuve「DUNE デューン 砂の惑星」2021年公開(109シネマズ二子玉川) かなりアート寄りの圧倒的世界観。 独特な音楽が素晴らしい。 中近東・アフリカの民族音楽・宗教音楽の趣。 破滅的・呪術的・終末的なムード。 映画館で観て、世界観と音楽を全身で浴びてムードに浸って体感したい作品。 今回は普通の2Dで観たが、池袋のあのスクリーンで観れば更に強烈かも。 長めのカタカナ言葉は「エターナル」同様に覚えられないw STAR WARSの<フォース>みたいに短い簡単な言葉ならいいのに。

Chloé Zhao「エターナルズ」雑感

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Chloé Zhao「エターナルズ」2021年公開(109シネマズ二子玉川IMAX) 「ザ・ライダー」「ノマドランド」はともに良かったので結構期待して観たが、結論から言うと、僕にはいまいち合わない作品だった。 長いシリーズの総集編のような印象。 人数多過ぎ。長い。 固有名詞が多すぎて覚えられない。 印象的な音楽なし。 この作品を観る限りでは、Chloé Zhao監督の資質はエンタメ向きでないように思える。 中盤の台詞で説明している部分で少し寝落ちしたのもあるが、そもそもエンタメは台詞で説明しなくても、画を観ていれば判る話が望ましい。 いずれにせよ絶対的創造主が作ったモノ同士の内輪もめ? そもそも地球が舞台である必然性はあったのか?  Disney+でながら見した「シャン・チー/テン・リングスの伝説」の方がまだしも普通にエンタメとして面白く感じられた最大の要素は、(かなりデジタル処理を施しているとは言え)生身の人間同士の1対1のクンフーアクションの魅力。 「エターナルズ」のような、人間の形をしていない敵とのデジタルな武器による戦い(クンフーでもチャンバラでもない)には、僕はどうもあまり惹かれないようだ。

Marek Kanievska「レス・ザン・ゼロ」雑感

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 Marek Kanievska「レス・ザン・ゼロ」1987年制作/1989年日本公開 通算4〜5回目の鑑賞。 レンタルビデオで初めて見た時から妙に魅かれて心が騒ぐ作品。 どこに魅かれるのか言葉で説明し難い。 ストーリー自体には特に際立つモノはない。 ひとつには多分説明的でない部分。 アバン(回想)で状況説明をしてクリスマスに帰って来て以降は非予定調和的。 ふと隣に目をやると友人が死んでいる。 刹那的ムード漂う音楽にも非常に魅かれる。 悲劇的内容の80年代青春映画として「プロミスト・ランド 青春の絆」と双璧。 James Spaderの役柄は26年後のドラマ「ブラックリスト」に直結しそうなキャラ。 裏の世界を仕切るバッドガイながら表情や話し方に妙な魅力。 ヒロイン・Jami Gertz(1965年誕生)は様々な髪型・メイクで異なる魅力を放つ。 僕の好みはポニーテールのかっちりしたメイク(70分頃)。 タイトル後の初登場ショット(パーティーで再会)のなんだか不気味に見える髪型・メイク・照明は、コカインを自ら捨てて以降(作品のラストの方)の状況との対比。 レス・ザン・ゼロ 作品データ

Peter Weir「いまを生きる」雑感

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Peter Weir「いまを生きる」1990年公開 Disney+で鑑賞。 公開当時の劇場鑑賞を含めて多分4回目か5回目の鑑賞。 1959年、全寮制の名門男子校が舞台。 初見の劇場鑑賞から直近(と言っても記憶では20年前)の鑑賞までは、生徒の少年たちに普通に移入して素直に感動して、ニール(Robert Sean Leonard)が自殺するくだりに関して、自殺する勇気があるのならどうして父親に自分の気持ちを強く訴えなかったのか!? と憤慨していたが、今回の鑑賞では、そういう感情も自分の中に残ってはいるものの、誰かが悲劇的に死んだ方が物語の主題(いまを生きる=いつかは死ぬ)の強化に与する、と製作者サイドの目線で感じる部分の方が大きくなっていた。 生徒たちのいまを生きる具体的な大きなストーリーは2つしか登場しない。 恋愛と演劇、どちらもうまくいって、Robin Williamsmも辞めないという話にする事は簡単だが、悲劇や別離を含んだこういう話だからこそ、中盤の何気ない瞬間がより輝く。 つまり、どう生きたとしても、人生は最終的にはある種の敗北(死)で終わる。 出会ったふたりは基本的にはいつかはどちらか片方が先に死ぬ。 だからこそ、特に若い時には、その瞬間にやりたい事に命を燃やす事が肝要。 人生の目的は究極的にはひとつしかない。 本当にやりたい事を見つけて一度は舞台に立つ=結果はともかくやれるだけの挑戦をする。 少なくともニールは一度は舞台に立った。 教科書を定規で破った少年はひたすら無難な道を選択して最期に後悔するのかもしれない。 この学校の卒業生でもあるRobin Williams演じる教師のある種の限界。 生徒や同僚(自分と同じ種類の人間)に対しては「知の巨人」だが、現実の問題を解決する為に自らが動いて積極的に関与する事は多分できない。 ニールに相談されてもできるのは言葉で励ますだけ。 ニールは最後の手段として父親と直接話して説得して貰いたかったのではないか? (相談するシーンの最後の方に「もう僕にはどうしようもない」といった内容の台詞) 公演終了後にニールの父親に激しい言葉で警告されると何も言い返す事ができない。 自分と同じような種類の人間には多くの言葉と様々な表現でいくらでも話す事ができるが、実社会の複雑で濃厚な人間関係・声の大きさがモノを言うような人間関係は体験