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J.J. Abrams「STAR WARS スカイウォーカーの夜明け」雑感

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「STAR WARS スカイウォーカーの夜明け」2019年公開 12歳の夏(中1の夏休み)に1作目を見てから41年5ヵ月、遂にシリーズ完結。 今作の内容はともかく、さすがに感慨深い。 基本的な部分(オープニング、エンドロール、音楽)が全9作最後まで統一されていた事には大いに拍手を送りたい(John Williamsの年齢を考えるとギリギリだったかも?) EP5の前後に「スターログ」で<STAR WARSシリーズは全9作>という記事を読んだ時、「3年に1本ペースで公開なら完結するのは2000年頃。30歳を過ぎても僕はSTAR WARSに胸踊らせているだろうか?」と思ったが、実際は30歳どころか、50歳を過ぎたいまも、あの頃と変わらずにメインテーマがかかった瞬間に胸踊っている。僕の根本の本質は15歳の頃と永遠に変わらないようだ。 ※以下ネタバレあり 前作EP8で最大の問題点と感じていたフォースのツーマッチ問題(画面上は実際に戦っているよう見えるふたりのうち片方は別の場所にいる)は今作もあったが、クライマックスは実際に3人がその場所にいて、その場所に3人が揃っている事に意味がある、という話になっていて、総じて前作よりは大分マシ、というのが鑑賞直後の印象。 とは言うものの、ハン・ソロが完全に実物のような存在感でそこにいる、というのは、こういう形でも最後に観られてやはりそれなりに感動的、という部分と、やはりちょっとこれはツーマッチという部分が気持ちの中で争いつつ、オールドファンとしては前者がついつい勝ってしまうような複雑な心境。 パルパティーンの計画は、レイとレンのフォースをできるだけ成長させておいて、二人揃って自分の目の前におびき寄せて、ふたりのフォースを吸い取って(おそらくはダース・プレイガスの秘技で)暫定復活している自らを完全復活させること(ファースト・オーダーもスノークもレイの両親を殺したのも計画の一部だった) …という事だったのではないか、と解釈しているのだが、<ふたり揃って目の前にいる>事が肝心(多分)という部分は伝わりにくかったのではないか? ひとりでもOKならレイから吸い取れば良かったのにそれをしなかったのは、レンが来るのを待っていたから、と解釈したい。 ※2回目に上記の部分を注意深く見たが、レイに自分を殺させる事で自分の中の何かを