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ほぼNetflix「仁義なき戦い」シリーズ(全5作)

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ほぼNetflix「仁義なき戦い」シリーズ(全5作) 3作目だけ見るつもりが結局全作見てしまった。 なぜか4作目だけNetflixで配信されていないようだ。 過去数回の鑑賞はいすれも最大40インチのTVモニタで大画面(PSVR)では初鑑賞。 大きな画面で見ると殆どのショットが妙な迫力を持っている事がはっきり判る。 1作目のタイトルがドーンと出てくるだけで妙な迫力w 好きな順番は①=③>④>②>⑤ 1作目と3作目は甲乙つけがたい。 人間ドラマとしては3作目だが、1作目のやたらとケンカする妙な勢いも捨てがたい。 ついつい「妙な」という表現を連発してしまうが、面白い映画は、まず第一に画に何かしらの魅力があるのだが、その面白さは言葉ではうまく説明できない。 この作品を見て何しかしらの「映画的興奮」を感じない人がいたら、その人とは映画に対して求めているモノが根源的な部分で違うのだろう。 菅原文太プロフィール

Netflix「ROMA」雑感

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Netflix「ROMA」雑感 横移動。奥行きがある空間。 クロウスアップは殆ど用いられない。 武道好きのヤリ逃げ男のチンポ完全無修正w 某サイトによると監督のアルフォンソ・キュアロンの半自伝的作品。 兄弟3人のうち誰かがキュアロンだとすれば末っ子? ワンショットに見える海の横移動は実に怖い。 あともう少し右に移動すると死んでしまう。 生と死の境目の儚さ、日常のすぐ隣にある死。 そしてカメラは逆方向に移動してかろうじて生還する。 クルマにひかれそうになる時のカメラの移動方向は左。 左右の移動方向に何か意味があるのかもしれない。 ラストショットのパンアップの動きは多分この作品唯一。 自宅で観ていると2時間を超える映画は本当に長く感じる。 昔ならCINE VIVANT 六本木、今ならイメージフォーラムの地下で観れば、 もっと没頭できたのではないか、と想像。 こういう映画に充分に味わう為には多分物質的・精神的な余裕が必要。 仕事の先行不透明で精神的にふらふらしているいまの僕は芸術にあまり向かないようだ。 映画監督生年月日一覧

竹宮惠子「風と木の詩」

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竹宮惠子「風と木の詩」全17巻 ちょうどその意味を知り始めた11〜12歳頃に連載や単行本を断片的に読んでいたが、きちんと全編通して読むのは初めて。ジルベールがそうなったのは幼少時代の展開で理解できるが、普通に育ったように見えるセルジュがそうなった要因(実はもともとそういう素養なのか、ジルベールが特別なのか、一線を超えさせた決定的なトリガーはなんだったのか)は、よく判らなかった。竹宮恵子は「本気で好きになった相手がたまたま同性だった」と描いている、と解釈したい。 学園を出てパリで暮らすようになって以降は悲劇的な予感しかしない辛い話が続く。 読者と作者とそのキャラしか知らない筈の心情や事実を、 他のキャラがなぜか知っている、という展開多数。 全編を通じて一番グッと来たのは、セルジュの父親・アスランが全てを捨てて美しい女性と純愛を貫く話だった。僕にはやはりその方面の素養はないようだw 漫画家の生年月日一覧

成瀬巳喜男「稲妻」雑感

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成瀬巳喜男「稲妻」雑感 比較的最近(記憶では10年以内)神保町シアターで観たのだが全然覚えていなかった。 一言で言うと変な映画。色々あるがそれでも人生は続く。 65分頃の浦辺粂子の台詞「どう思うたってこう思うたって、しょうがないじゃないか。そうなっちゃったんだもの」が、その口調も含めて、妙に面白く感じられたが、その面白さはうまく言葉で説明できない。この台詞が象徴する流され型の身内、高峰秀子の孤独な抵抗。 金の話、浮気の話、酒飲んでケンカ、など身も蓋もない話連発。 20代前半で観ていたら受け付けなかっただろうがトシを取る程に染みて来る。 和室の立ったまま、またはひとりが座った状態の会話(小林信彦が指摘?)。 研ぎ屋「ハサミ、包丁、カミソリ研ぎ〜」 傘修理「こうもり傘の〜なお〜し」 中北千枝子(次女の亡夫の浮気相手)を訪れた帰りに寄るのは深川不動尊。 高峰秀子プロフィール

三島由紀夫「盗賊」雑感

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三島由紀夫「盗賊」雑感 2019年は三島由紀夫の長編を時系列に読んでいく事にして、1948年発行「盗賊」を新潮文庫で。以前に1回は読んだはずなのだが見事に全然覚えていない。 一応具体的な行動・事象は描かれているものの限りなく観念小説に近い。 自分の心と自分の言葉はどこまで一致するのか? P188 髭のタクシー運転手の話は<不一致のメタファー=この作品全体のテーマ>か? 簡単に言えば、言葉にした瞬間にどこまで本心を語っているのか自分でも判らなくなる、 という事なのだろうと想像するが、心情描写が過剰なペダンティックと言えるレベルで語られていて、一読して判りにくいのは、斯様に多くの言葉を連ねて語れば語る程、「本心」などというモノはよく判らなくなるという事、と解釈したい。 「本心」はそもそも本当に存在するのか? 「本心」を言葉で語った(つもり)時にそれは相手にどこまでしっかり伝わるのか? 例えば「好き」という単純な言葉。 人物Aにとっては「死ぬほど愛している」と殆ど同義で滅多に口に出さない言葉で、 人物Bにとっては「嫌いではない」程度の挨拶代わりに口に出す言葉かもしれない。 同じ「好き」でも、相手・気分・その他の理由で同じ人が違う意味合いで用いる事も多分多いにありえる。 斯様に言葉、特に心や感情を表す言葉が持つ意味はどこまでも曖昧なようだが、それでも我々は言葉を用いてコミュニケーションして物語を紡いでいくしかない。 「豊饒の海」の衝撃のラスト(本多と聡子の60年ぶりの再会)は、「言葉」や「記憶」の曖昧さを永劫に残る遺言の如く突きつけていたが、そのテーマは、この長編第1作目で既に、考えようによってはより複雑に、ある種メタ的に顕現している。 三島由紀夫プロフィール

「アリー スター誕生」雑感と妄想

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「アリー スター誕生」 Bradley Cooper演じるキャラクターはなぜ死を選んだのか? 音楽映画として「ボヘミアン・ラプソディ」に勝るとも劣らない素晴らしい出来。「ボヘミアン・ラプソディ」はクライマックスのLIVEパートで<音楽(ロック)の根源的パワー>が問答無用で圧倒的に炸裂していて、音楽のパワーに関しては「ボヘミアン・ラプソディ」に軍配を上げるが、深みと解釈のしがいがあるストーリー・物語は「スター誕生」の方が勝っていて、総合的には甲乙つけがたい。 Lady Gaga主演のリメイクの音楽映画、程度の予備知識で挑んだこの作品、単純なボーイミーツガール&サクセスストーリーかと思って観ていたら、Bradley Cooper演じるメンターが重層的で良い意味で裏切られた。Cooperは登場時点で既に功成り名遂げた有名歌手で、当初はGaga演じる歌手志望の女性の完全なるメンターなのだが、Gagaはあっという間に売れてしまい、次第に冒頭から示されていたCooperのモンダイ(アルコール中毒)が浮上して来て、「Gagaに出会った事によってCooperがアル中地獄から救われる話に着地するのかも?」と期待を持たせるものの、やはり悲劇的に終わる。映画の原則から言えば、ボーイミーツガールの形式で始まって、出会ったふたりが開始15〜20分であっさりセックスしてしまう作品は、悲劇的な地点に着地せざるを得ない。 Cooper演じるキャラが<抱えていたもの>(自殺の原因)は何だったのか? こういう重層的なキャラクターの場合の常として、「本当の事を話しているとは限らない」という問題があるが、それは一応置いておいて(本当の事を言ってる事にして)、殆どの話が父親がらみ(Gaga側の話も父親がらみの話が多い)なので、父親に関する何かであるのは間違いない。決定打は、酔った挙句の大失態(Gagaの授賞式のステージ上で失禁!)を悔いるシーン(多分最重要シーン)で「君(Gaga)の父親の前で…」と言った瞬間に泣き始めた事。 僕が想像(補完)した話は、 ◯父親が酔っぱらいでだらしない男だったのは本当 ◯父親がいろいろ夢を見て成功できなかったのも本当 ◯周囲の誰も認めてくれなかった時点で父親だけはCooperの音楽の才能を認めてくれた ◯音楽で成功した姿を父親に見せたかっ