様々な徒然なる雑感など

様々な徒然なる雑感など

2022.04.24日
「自分が望まない性的関係は言葉をかけられるだけでも絶対拒否、真剣交際中の人を相手に
双方が承諾した時だけ性的関係を結ぶ」という考えの人の自由が尊重されるのなら「そういう気分の時なら誘われれば基本的に誰が相手でもいい、自分も相手も他の人と何をしても平気」という考えの人の自由も尊重されるべきだと思うが、なんとなく、前者のみが正しく、前者のみが尊重されるべき、という風潮が主流になってきているような今日この頃。

2022.04.23土
野球の試合は長い。ロッテvsオリックスは延長で4時間超え。散歩にいきぞびれてしまった。
野球に限らずスポーツの試合、映画や演劇も、基本は90分、長くても120分で終わって欲しい。配信には見切れない数の映像作品があるし、本やマンガも読みたいし、散歩にも行きたい。1日はあまりにも短く、その割りに野球は過剰に長い。

2022.04.21木
○藤子不二雄Ⓐ氏の訃報を聞いた日から読み返している「まんが道」、「愛…しりそめし頃に…」第11巻で遂に「怪物くん」連載開始、やっと僕が子供の頃に見慣れていた絵柄とコマ割りになった。
○野球を見始めた10歳の頃、「降雨コールド」は「雨が降って寒いので途中打ち切り」だと思い込んでいた(降雨cold)#野球

2022.04.20水
"つまり小林氏のビートルズは自分の外側にあり、一方、松村氏のビートルズは自分の内側にあるのだ。ぼくは以前この論争を某誌で「時代的体験と個人的体験との軋轢」と決めつけたけれど、意味はまあ同じだ。この論争の随所で小林氏の「当時33歳の業界人的視点」と松村氏の「当時15歳のファン的視点」が衝突していたのは象徴的だ。"
この論争は当時はよく判らなくて半ばスルーしていたのだが、このまとめでよく判った。
イエスタデイ・ワンス・モアPart2 ミート・ザ・ビートルズ」は物事が都合よく進行しすぎで、たしかに小説(物語)としてはあまり面白くない。だが12歳の頃から40年以上小林信彦氏の著作に親しんできて、どうしても心情的には小林信彦に寄ってしまう、ビートルズは<歴史上の人物>としか思えない1965年生まれの僕の本音は、まもなく60歳を迎える当時の小林信彦が、10代後半の主人公が登場する軽い小説を、細部に関する深い考察をほどほどにして、つい書いてしまう心理は判らなくもない。自分の中の10代後半の少年はまだ充分に生きているので、その心理だけで僕なら小説(軽いエンタメ)はさくっと書けると思いたい、という小林信彦の心理(あくまで想像)。実際は60歳を前にして(僕自身が日々実感しているが)10代の頃の記憶は日々薄れていく一方、それを認めたくない自分が多分いる。高校3年がタイムスリップする話を書くのなら、本来なら小林信彦自身が高校3年だった1949年に跳ぶ話をかけば良いのだが、あえて少しずらして、普通のタイムスリップもののエンタメよりもっと複合的な話が書けるという自負。1949年の高校生として等身大の自身を投影した主人公に(当時は実際はできなかった?)恋愛させるのは恥ずかしい、という心理も多少あったかもしれない。結果的にはそもそも1989年の高校生というアクチュアリティがない主人公が1959年に跳んで、逆にその時代の若者としてはそこそこアクチュアリティがある、という変な人物像になっている。上記のように、物語としては弱いが、それでも、1959年の東京の風俗を垣間見る、ちょっとした読み物としては充分読める小説だとは思う。

小林信彦ついでに例の森卓也の件。
「映画論叢 59」の文章は読んでいないのだが、僕はそもそも、一般的にAとBの人間関係において、常に互いに対等な気分に終始する関係はありえない、と思っているので、僕のように感受性が強くてその感情を内に溜め込むタイプの人は多くの場面で被害者感情を持つだろうが、どういう言動に被害者感情を持つかは人それぞれなので相手も別の場面ではそう思っているかもしれない。結論として、細かい事を言い出したらキリがないので、まあこんなものだろうと、できるだけ大雑把にやっていくしかない。
一番下のリンクの文春のコラム、どの部分を編集者が失礼と感じたのだろう?

2022.04.15金
2019年9月のローンチから毎日やっているドラクエウォーク、いちいち「そうび」や「こころ」を換えるのが面倒なので、周回もほこらもは基本的にオートで勝てるモンスターしか相手にしてこなかったが、いよいよ立ち行かなくなってきた。

2022.04.15金
序盤の送りバントは1点取れれば十分という消極的な戦法。特に初回は投手の調子もまだ判らないので送りバントではなく2塁打以上を続けて複数点を狙って欲しい。送りバントは終盤の1点勝負の時だけにして欲しい。

2022.04.14木
男性が話をする時に一番伝えたいのは「情報(ネタ)」で、
女性が話をする時に一番伝えたいのは「自分の感情」なのではないだろうか。

2022.04.13水
藤子不二雄Ⓐ享年88を偲んで「まんが道」を読み返す。多分3回目。愛蔵版は電話帳のような厚さの全4巻だが読み始めるとぐいぐい読まされる。夏に帰省して原稿を落としまくる話、そもそもどの程度逼迫していたのか、よく判らない。藤子・F・不二雄は「ドラえもん」執筆中に机に突っ伏して倒れているのを家族が発見(そのまま永眠、享年62)。

2022.04.12火
現金(おつり)に触りたくないので五反田atre3FQBハウスでヘアカット(PASMO)。
券売機でどのボタンを押せば良いか判りにくい。
支払いはスマホでできても券売機で紙のチケットを発券するという無駄。
映画館もそうだが紙のチケットなしでスマホのアプリで完結が理想。
1980年代に映画館でアルバイトをしていた時には、チケットの半券を専用の用紙に貼って最後に数を数えて現金と照合していたが、ひょっとして今でも映画館で同じような事をしているだろうか。
更に言えば、エキスプレスカードに指定したPASMOはスマホをかざすだけだからまだマシだが、いちいちスマホのアプリを開いて行う支払いは微妙に面倒。チップを皮膚に埋め込むのは抵抗があるので、とりあえずは手首や手の甲にプリントするバーコード的なモノで決済できるように早くなって欲しい。最終的には、人の体そのものが一種のデジタルコードになって何も持たずに何も操作せずに決済可能になると予想(早ければ2030年頃?)

2022.04.11月
新型コロナに加えてウクライナのニュースで気が滅入るので今日もYouTubeで京都橘の2018Rose Paradeを見る。普通のマーチングバンドにどこか漂う軍隊的ムードのない、アイドルかアニメキャラのようなオレンジの衣装。ステップを踏んではねながら進む後ろ姿の、揺れるポニーテイルは平和の象徴のように感じられる…。

2022.04.09土
紙の日刊スポーツの捨てがたい魅力は、紙面を広げた時のレイアウトを眺める楽しさ。どーんと横80縦52に広げた時に、見出しの配置や大きさで、ひと目で記事内容の軽重がわかるのがいい。広げた紙面のスケール感の再現は、現状の一般的なスクリーン(スマホ・タブレット・PCモニタ)では困難で、プロジェクターなら大きさは再現できるが手軽に持ち運べない。今後数年で期待するのはスマートグラス。スマートグラスで目の前の任意の位置に任意の大きさで「表示」させて、なおかつ、紙にはない機能として、動画再生・文字の拡大・文字の読み上げなどが可能な、真の意味で次世代のデジタル新聞が早く実現して欲しい。

2022.04.08金
映画「シャイニング」冒頭の音楽「怒りの日」グレゴリオ聖歌は、ベルリオーズの「幻想交響曲」の第五楽章に引用されている https://www.youtube.com/watch?v=owp6QLzaiU0 

2022.04.03日
およそ世の中にあるモノで、実際にある程度深く体験して楽しくないモノはひとつもない。
多くの人にとってとっつきやすい楽しさがあるモノと、そうでもないモノがあるだけだ。
例えば、飲食、マンガ、映画、ギャンブル、社交、恋愛などはとっつきやすい楽しさ。
高度なレベルの勉強や研鑽は、多くの人にとって、とっつきやすくはないかもしれないが、人生を生きる事の根幹は、未知の事を知る・体験する事にあるので、やり続ければ、勉強や研鑽も、やり続ければ、ある時点で前者とはまた別の楽しさが生まれる筈。
なんであれ、ある程度やってみて、コレは自分にはあわない、と判断するのはいい。
もったいないのは、やる前から、多分コレは自分にはあわない気がする、と勝手に判断してやらない事。何事も実際にやってみなければ判らない。



コメント

このブログの人気の投稿

島耕作メモ

サッカー日本代表 W杯本大会全戦績

「アリー スター誕生」雑感と妄想