シビル・ウォー アメリカ最後の日
シビル・ウォー アメリカ最後の日(2024=アレックス・ガーランド)109分
予告編と邦題から想像したエンタメ戦争映画ではなく断然アート。過去に観た事があるどの映画にも似てなくて、着地も全く予想できなかったので相当楽しめた。
あえて肌感覚が似ている映画を挙げれば「地獄の黙示録」。こんなシーンにこんな音楽という感覚や、次第に濃密になって行く狂気(暴力)の度合い、観ているうちに何を見せられているのかだんだん判らなくなってくるムード。
4人のジャーナリスト(男2女2)が一台のクルマでニューヨークから首都D.C.に向かうロードムービー。このうちの誰かは(ひょっとしたら全員が)映画の最後には死んでいるかもしれないという予感。日常に隣接する戦争状態。空ショットの風景の美しさ、鳥の囀り。
エンタメとしていくらでも面白くなりそうな「アメリカの内戦」という題材は完全な後景で、極端に言えばこの作品はどこかの国のなにかの紛争でもある程度成立するが、ラストショットの兵士たちの無邪気にも不気味にも見える笑顔が一番映えるのは、やはりアメリカ大統領なのだろう。
主人公と副主人公がスタジアムの観客席で話すシーン、普通の映画ならフォトジャーナリストを目指した理由などを語りあいそうだが語らない。このシーンだけではなく、この映画には、登場人物が心情や本音を語る説明的なシーンは皆無(だったと思う)。人は(時に無自覚に)嘘をつく事があるので言葉で語る内容には限界がある、という事を、この作品は言葉で語らない事で表現している。
「メロディに意味がある」(by松任谷由実)を映画に援用すれば、この作品で一番重要な意味を持つのは「音」。明らかに対比されている銃撃の轟音とカメラのシャッターのかすかな音(「どちらも英語で言うとshoot」by宇多丸)。なすすべがないと感じてしまう圧倒的な音量・音圧・迫力の差は映画館の音響でないと完全には味わいきれない。
太った老人が猛スピードのクルマで突っこんで来て危機を救うショット、画面には突然現れるが、実際は平らで大きく開けた場所だったように見えたので猛スピードで走ってくれば多分気づかれる。映画的はったりとしては勿論全然OK。
ほんのちょっと前にたくさん青春映画に出ていたKirsten Dunstはすっかりおばさんになった。僕の内的時間感覚では「ほんのちょっと前」だけど現実世界の現実時間では30年前w Kirsten Dunstは1982年誕生。
副主人公Cailee Spaenyは童顔・小柄で10代に見えたが23歳設定、1998年誕生なのでほぼ実年齢。メイクでいかようにもなりそうな顔立ち(←ホメ言葉)。観ようと思っていて未見の「プリシラ」「エイリアン ロムルス」に主演。
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久々に映画館で映画を観たが、平日の空いている映画館で映画を観るのは、やはりただそれだけで非常に愉しい。映画館でひとりで映画を観ていると、時間と場所の現実感覚が希薄になって、札幌の映画館で映画を観ている高校時代の僕や、池袋の映画館で映画を観ている大学時代の僕や、どこかの街の映画館で映画を観てい未来の僕に、言葉では説明できない特殊な回路で密接に繋がっている感覚になる事がある。今回はエンドロールを眺めながらぼーっとしている時にその感覚になっていたが、途中で席を立って左側から移動してきたふたりに現実に引き戻された。
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