中野明「裸はいつから恥ずかしくなったのか」読書メモ

中野明「裸はいつから恥ずかしくなったのか」2016年 ちくま文庫

裸を見られる事が恥ずかしい、という概念は、<本能>ではなく、ある意味では<文化>であるという事はなんとなく判ってはいたが、明治のある時点までは、女性の上半身裸がここまで日常的によくある風景だった、という事は知らなかった。明治初期以前を描いている映像作品は、現在の感覚に則って、現在と同じような羞恥心があるように描かれている事が殆どではないだろうか?

重要なのは、明治時代のある時点までは、裸=性的対象ではなかった、という事。 心の奥でどう考えていたかは人それぞれだろうが、少なくとも、社会全体の暗黙の了解としては、裸=顔の延長=日常的によく目にするものだった、という点。

脳化社会論によれば、裸体を隠す社会の限界を察知した脳が、行き過ぎた裸体の隠蔽を和らげるために混浴文化を復活させた、という説は興味深い(P252)

※2012.12.01追記
ドイツ・ハノーファーは入浴規制を改正、市営プールで女性や第3の性の人が上半身裸で泳ぐ事が可能になる

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