村上春樹「女のいない男たち」読書メモ

村上春樹「女のいない男たち」文春文庫 読書メモ

映画「ドライブ・マイ・カー」は、同名の短編から人物配置、「シェエラザード」からエッセンス(セックスの後にストーリーを語る話)を借りて、多言語による演劇という要素を足して相当豊かに膨らませている。大きな違いは妻の死に方。原作は病気でゆっくりと最期を迎えるが、映画は突然死。

映画では主人公・家福は妻の浮気現場を目撃するが、原作は現場を見たわけではないのに浮気を確信している。文章を素直に解釈すれば、これは家福がそう思っているだけでそうとは限らない、という事になると思うのだが、それとも、この小説は一見一人称的三人称で書かれているが実は神視点である、と解釈するべきなのだろうか?

「ねじまき鳥…」にも、尾行している相手の顔の表情が見えるかのような描写があったと記憶するが、この書き方は毎回解釈に悩む部分。とはいえ、仮に明確に現場を目撃した、という描写があっても、自分でも気づかない深層心理による幻視かもしれないし、仮に妻が告白したとしても妻がウソを言っているかもしれない。明確な神視点文体で書かれた明確な客観描写でない限り、全ては不明確ではある、という解釈も可能。

一番楽しめた作品は「イエスタデイ」。
彼女とのデートでもっとイロイロ進展するバージョンを夢想。

「木野」は村上春樹の一連の長編の別バージョン(日常のすぐ隣に闇の世界がある)。
安定した面白さだが、ここからどんどん話が続く長編を読みたくなる。

単行本書き下ろしの「女のいない男たち」の延々と続く言葉遊び。
若い頃はこういう作品も嫌いではなかった気がするのだが……。




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