白鵬の取り口に関する雑感(2021年7月場所)

白鵬の取り口に関する雑感(2021年7月場所)

賛否両論を呼んでいる2021年7月場所14日目と千秋楽の白鵬の相撲、結論から言えば、僕は横綱の相撲としては認めない。白鵬が見せた、勝つためには手段を選ばない戦法や、感情をむき出しにする態度は、大相撲ではなく、プロレスの専売特許。大相撲には大相撲ならではの守るべきものがある。

大相撲は通常の意味の「スポーツ」ではない(これはプロレスも同様)。

普通のスポーツなら、番付に関わらず、ルールで禁止されていなければ何をしてもいいし、個人の喜びの表現は個人の自由なのでむしろ推奨されてもいい。その場合は、スポーツの公平性の観点から、可能な限り同等の条件で戦う事が要求されるので、原則として体重別になるだろうし、横綱だけに「土俵入り」という余分な体力消耗を伴うモノが課せられているのは不公平、という事になる可能性もある。

スポーツでないとしたら何? と問われれば、大相撲は、美学と様式を重んじる日本独特の伝統的興行である。ちなみに、プロレスは、ファンを喜ばせる事を最重要視する、アメリカナイズされた演劇的興行といった所か?

立ち会いは基本的に互いにぶちあたる、という、およそ他の格闘技では見られない、大相撲独特の試合開始プロセスは、美学と様式の中に含まれる。

互いにぶちあたる立ち会いは、体格で大きく劣る小兵力士は圧倒的に不利なので、小兵力士が相当な体格差がある対戦相手に対してのみ、奇襲戦法(仕切り線から下がる、変化、猫だまし、張り差し、など)をたまにやるのは許される、という暗黙の了解がある。

大関以上の力士は立ち会いは常に正攻法が原則。
小兵の大関はグレーゾーン(相当な体格差がある大関・横綱相手なら時にはOK?)。
横綱は正攻法の立ち会いで勝てなくなったらいさぎよく引退するべき。

上記のような暗黙の了解は、2000年頃まではたしかにあったと思うが、朝青龍以降のモンゴル勢はたびたびそれに反するふるまいを見せてきた。その都度、親方や横審は注意や勧告はしていたようだが、それがどこまで彼らに響いていたのかは疑問。反則負けにならないのなら、どうしても勝ちたい一番では、むしろ、やらない方が勝負に対する執念不足と彼らは思っているのかもしれない。

ここに及んでは、伝統を重んじる「元祖大相撲」と、スポーツ性を重んじる「新大相撲」に団体が分裂するのも一案。はっきり色分けされていれば、僕も両方楽しめる。

相撲

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