黒沢清「散歩する侵略者」雑感

黒沢清「散歩する侵略者」Hulu 2017年公開

いろいろ掴みきれなかったが、特に、一番のキモである、「概念」を奪うという侵略者の行為が意味する事が何なのかよく判らなかった。「家族」を奪われた前田敦子の内的世界で実際にどういう変化が起きたのか?「家族」という言葉の抽象的な意味合いだけでなく、姉との関係性や記憶を全て失い、他の言葉で置き換える事もできなくなるとしたら、それは言語能力自体の喪失になるような気がするが、そのようには描かれてはいない。普通に会話はできるし、「見知らぬ他人」と認識しているようにも見えない。そもそも「家族」を喪失して「自分」は認識できるのか?

言語化できない底の底では概念は混沌と一体化していると仮定すれば、「家族」という概念は「信頼」「絆」「愛」などの概念と密接に絡み合っているので、「家族」だけを切り離して奪う事はできないのではないか?

…などといろいろ突き詰めて行くと、そもそも「概念」を言葉で説明する事も簡単でない気がして、アタマが痛くなってきたw

長澤まさみの台詞が過剰に紋切り型・説明的なのは「言葉」の空疎性を際立たせる為?
「イラスト上がったんでいまメールで送りました」「え? 次の仕事ですか? 」(10分頃)
仕事場のセクハラ上司とのやりとりも過剰に説明的。

冒頭や40分頃の病室でコミカルな劇伴が使用されているのは、宇宙人にとっては遊び半分という事だろうか?

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